原稿の手が止まると、自然と部屋の本棚に目がいく。気づけば本棚を眺めているような気がする。そして本棚に目が行っているな、と気付いたら、昔好きだった人に「私、気付いたら自分の本棚の前でずっとぼーっとしちゃうんだよね」と言ったら「それはこの世で一番無駄な時間やな」と言われたことを必ず思い出す。そうかもしれない。けれど私にとって本棚を眺めることは、今まで自分が読んできた本たちの中身を改めて思い出そうとすることでもあるし、自分はこれだけ本を読んできたのだという実感を得ようとすることでもあるし、この本棚に詰め込まれた本の数だけ人の思想や感情や物語があるのだという果てしなさに今一度圧倒されたいという気持ちでもある。本棚の前に立つとき、私は私にいろんなものが流れ込んでくるのを感じる。その感覚が欲しくて、しばしば本棚に目をやってしまう。この世で一番無駄な時間は、それでも私に充足感と少しの安寧をもたらしてくれる。ちなみに「読み終えた本しか本棚に入れない」という自分ルールを持っているので、部屋中のありとあらゆるところに未読本が積み上がっている。そして「未読本には必ず書店のブックカバーをつける」というルールもあるため、部屋に積み上がった未読本はいちいち中身を開いてみないとタイトルがわからない。
木曜日に上司と後輩の男の子と飲みに行ったのだけど、この上司が大変に話好きな人で、飲み会がトータル1時間だったとすれば(実際には3時間も店にいたのだけど)そのうちの59分は上司が喋っているような有様で、私と後輩は「はい」「そうですね」「確かに」くらいの相槌しか差し挟ませてもらえず、飲み会って何のためにあるんだろう、と、途中からリスニング力が話半分くらいになってそんなことを考えていた。話すのが好きだということは別に悪いことではないし喋りたければどんどん喋ればいいと思うのだが、相手の反応を1ミリも待たず、そしてきっと反応があったとしても話の内容を転換させることなく自分の喋りたいことだけをひたすら喋り続けるというのはいかがなものだろうとちょっと思う。自分一人で喋りたいのならtwitterのスペース機能を使ってラジオみたいにして喋ってればいい。podcastでもいい。そういう、不特定多数の人に聞いてもらえるような場を使えばいいわけで、飲み会という、一応は双方向のコミュニケーションの場は持論や自慢をノンストップで聞かせる場ではない。「今日もまた俺ばっかり喋ってしまった〜」と、帰り際に言葉面だけは反省しながらもその声はとても満足そう。この人はきっと一生こうだろうなと思った。いつも思うけれど、自分の持論や自慢は人に聞かせるに値するものだとごく自然に、けれど何の疑いもなくそう思っている人に出会うとイラッとするより先に一体なぜなんだろう? という不思議な気持ちでいっぱいになる。他人に対する自分の価値、みたいなものを疑わない人というのは一体どんな頭の回路をしているのだろう。その自信は一体どこから来ているのだろう。
哲学だけでなく、わたしたちは常に喋りすぎている。日常で、会議で、SNSの中で。じっくりと聞くのではなく、何か「いいこと」を話さないといけないというオブセッションに急かされて、夢中で口を動かしつづけている。沈黙がこわい。よどみ、停滞がおそろしい。議論での沈黙は、その場への不参加だと思われる。真っ白な画面に、めちゃくちゃに文字を打ち込むように、急き立てられて話しつづける。もっといいことを、もっと意義深いことを。もっとひとを動かし、もっと尊敬され、もっと「ここにいていい人間だ」と思ってもらえるようなことを。
永井玲衣『水中の哲学者たち』p102.
あるいは上司もただ沈黙を恐れているだけなのかもしれない。そしてひたすらに持論と自慢を展開しまくるのも、私たち年少者に少しでも自分をよく見せよう、自分の話は年少者たちにきっと役立つのだと半ば自分に言い聞かせるようにして喋っているのかもしれない。上司もただ「何もない人間」として存在することが怖いだけなのかもしれない。けれど、「何もない人間」として存在するのが怖いのは誰だって同じだ。あなたと同じように、同じだけ、私にも、後輩にも、喋りたいことは心にあるはずだ。それを話すのを楽しみにしてこの場に集まっているはずだ。だから、飲み会という場で各々持ち時間があるべきだとまでは思わないけれど、やっぱり時間を独占するのは良くない。
そして来週我が部署にも新入社員がやってくることになったのだけど、配属日にはその新入社員の彼を誘ってまた飲みに行こうという話になった。飲みに行くのは構わないが、今日みたくあなたが一方的に喋りまくる時間にだけはなりませんようにと今から祈っている。新入社員だって配属日という特別な日に緊張しないわけがない。そんな大事な日は彼のためにあるべきであって、上司に時間を独占されてはならない。私と後輩が頑張らなくてはならない。
それにしても永井玲衣『水中の哲学者たち』とても面白い。書かれている哲学会話の様子には去年観たドキュメンタリー『ぼくたちの哲学教室』を思い出す。図書館で借りてきた本だったけれど、これは買ってもいいかもしれない。