朝から本当にしんどくてほとんどずっと寝ていた。昨日ちょっと歩いてコメダに行っただけなのにこの疲労……いや、コメダが原因なのかどうかもわからない。とにかくすごくしんどい。とにかく起き上がっていられない。起き上がれないからだんだん気持ちも鬱々としてきて、せっかくの連休なのに私は何をやってるんだろう……。台風が来るからかな? とも思ったけど、別にこのあたりはそこまで天気が悪いというわけでもないし、そもそも私は気圧の変化に鈍感なのでこういうときだけ都合よく気圧のせいで〜とか言えないのであった。
ずっと寝てたけど、昼間ちょっとだけ正気に戻るときがあって、少しだけ本読もうかなと思って伊藤昌亮『曖昧な弱者の時代』を読んだ。これは地元の地方紙の書評欄に取り上げられていて、面白そうかもと思って買っておいた本。読んでみて、思ったとおり結構面白かった。私はやっぱり考えなしというか自分の頭でものを考えられないところがあるので、日頃からなぜなんだろう……と漠然と思っていたことにわかりやすい解説をもらったような感じ。私は自分のことをどっちかといえばリベラルな方だとは思っているけど、そのリベラルの弱いところ、リベラルが取りこぼしているところを丁寧に解説してもらえてすごくありがたかった。他にも参政党や高市政権のマニフェストの仕組みの解説もありがたかった。決して支持はしないけど、だけど参政党や高市政権を支持する人は何をもって支持してるんだろうとずっと不思議に思っていたので。こういうことも、私が日頃からアンテナ高くいろんなことに興味を持って自分の頭で考えてれば自然と結論は出るのかもしれないけどどうしても、余裕がなくて……左の人も右の人もこの本を読めばいいと思ったけど今や人々は左右だけじゃなく上下でも分かれていることがこの本でわかる。個人的には、障害者や低所得者、生活保護受給者などなどの「明白な弱者」に対して「自分も弱者だ! 配慮しろ!」と主張する「曖昧な弱者」(の定義についてはこの本を読んでください、解説する元気がありません……)に関しては、自分で自分を弱者と主張するのはみっともないと思わんのかと思わないこともないのだけどそう思えるのは私が特に何にも困っていない「明白な強者」だからなんでしょう。別に困ってないことがないわけじゃないけどそれを言い出したらきりがないしな。
最近、怒りの感情がすごく遠い。直近の私でいうならとにかく毎日が疲れやすくて眠くてしんどくて、そこからさらに世界に目を向けて、いろんなことに怒れるだけの体力がない。デモやスタンディングに足を運ぶ人たちのことを眩しい思いで見ている。子供の頃は自分以外のあらゆることに怒っていたのに大人になってからほとんど怒らなくなった。まるで子供の頃に怒りの感情を全部使い切ってしまったみたいだ。なるべく波風起こしたくないし、角を立たせたくないし、怒ることによって目立ちたくもない。政治のことも、戦争のことも、差別のことも、最近はすごく遠くにあるような気がしてる。そういう日々は表面上は穏やかで、風に任せてゆらゆら揺れるように、何にも抵抗せず、静かに流れていくけれど、そうしている間に、私はいろんなことを取りこぼし、見て見ぬふりをして、自分だけを守ろうとして過ごしているんだろうな。そんな日々だから、今日この本を読めただけでも良かったって思おう。ちょっとはこの世界にまだ関心があるよって、自分でわかって良かった。明日も引き続き本を読めたらいいな、やっと読書に目が向くようになってちょっと安心している。でも難しい本を読む体力と気力がないので、エッセイか小説あたりで……