昨日、録画していた浜崎あゆみのNHK特集を見たので今日のBGMは浜崎あゆみ。私は今も昔も彼女の熱心なファンというわけではないけれど、初めて自分のお金で買ったCDは彼女の音楽だったし、それからもたくさんCDを買った。「A song for xx」はここにわたしがいると思った。幼い心でも悲しみに押しつぶされそうな日はあるもので、そんな日は「A song for xx」を聴いた。彼女が2024年になってもこの曲を歌ってくれることにとても勇気づけられる。そういえば先日47都道府県ツアーで地元にも彼女が来たわけだが、初めて来たのかな? よく知らないけど、会社帰りに駅前のサンマルクに寄ったら豹柄の大きなカバンを持ったド派手な人がたくさんいて、何事だ? と思ったけれどみんな彼女のコンサートに行ったんですね。25年経ってもあなたには味方がたくさんいるじゃん、よかったじゃんと心から思う。個人的にNHK特集のお気に入りは宇多田ヒカルをカバーした「Movin' on without you」だ。宇多田ヒカルも好きなので、同じ時代を生きたふたりの間にこんな交流があってとても嬉しい。大昔の歌番組で彼女たちが共演したことがあって、宇多田ヒカルが彼女に「ツアーのときすごく荷物が多いって聞いたんですけどなんでそんなに多いんですか?」と訊ねてたのを未だに覚えている。でもあのとき彼女がなんと答えたのか忘れてしまった。
昨日、我が家に手すりがついた。というのも、転んで骨折し、リハビリ中の祖母がもうすぐ退院するからだ。おめでたいことなのだろうけど、正直あんまり喜べない。なぜなら祖母が退院したところで残りの家族は全員日中は不在にするからだ。祖母ひとりを家に残して何かあったらどうしよう、と、今からそんなことを考えては不安になっている。かといって、たとえば母がちょっと早めに会社を辞めて祖母の世話をするのかと考えてみても、これも母がかわいそうだと思う。母は辛抱強くもあるけれど怒ると全部態度に出るのでわたしはそれが怖い。今でも怖い。むしろ問題にすべきは私と母の関係なのかもしれないけれど、なんかもう、33年生きてきてこれなんだからもう生涯こうなんじゃないかと思えてくる。そして、まあそれでもいいかと思うのだ。それはひとえに改善が面倒だから。こうして人間関係は断絶していく。話がそれたけれど、祖母が帰ってくるという話である。表立っては言わないけれど、わたしは祖母が家に帰ってくるのがとても怖い。だけど、能登半島地震で避難のために家を離れた人たちについて、家を離れるということがどれほどのインパクトを持つかと自分で書いたように、祖母にとって、住み慣れた家に帰れない、違う場所へ移るということがどれだけ悲しいことであるかも分かるつもりだ。でも、でも……と思考はぐるぐると回って、まるで自分が人でなしであるかのように思えてもきて結構つらい。両親は祖母を家に帰すことについてどう思ってるんだろう。でも家に手すりをつけたんだから、家には帰すということなんだろうな。一度家族で話したほうがいいのかもしれない。しれないけれど、気が引けて切り出せずにいる。そうこうしているうちにきっと祖母は帰ってくる。
最近ちょっと弱気で、今月中に書き下ろしをなんとかしようと思っていたけれどなんかできない気がしてきた。不安はもっと進んで、もう書き下ろしは書けないんじゃないかとまで思えてくる。そうなったとしても本編はもうあるので本にはできるだろう、でも自分のことめちゃくちゃ嫌いになりそうだな。twitterを見ているといろんな人が楽しそうに自分の二次創作をしている様子が目に入る。それを見ているとどんどん自信がなくなってくる。もとより、この本を作り終えたら二次創作から一度離れるだろうと思っているので尚更だ。わたしにはエンジンはあってもガソリンが足りない。エンジン自体もきっと弱い。他の人たちがすごくテンション高く語っているのを見るとわたしにはできないと思う。できないままで、逆によく1年も続けてきたものだとも思う。でも、こんなことをここにつらつらと書いている暇があったら一文目に手をつけてみろという話だ。一文目が書けたら案外すらすらいくのかもしれないし、それはやってみないと分からない。分からないけれど、怖いんだよなあ。不安をこぼしたところで、今日はもう終わりましょう。