20240810

kyri
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公開:2024/8/10

今日から木曜日まで6連休。カレンダーの3連休に会社がくれる3日間の夏期休暇を全部くっつけた。というのも、来週の金曜日がいよいよ試験の日だったから、ギリギリまで勉強しようと思って思い切って長く休むことにしたのだけど、そうしたら宮崎県で地震があって、南海トラフ地震臨時情報が発表されてしまって、1週間程度は注意が必要とのことで、試験日が再来週に延期になってしまった。激萎えだ。13日からザファが再上映で、16日に試験が終わったらすぐに映画館に行こうと思っていたのに、全部が延び延びになっていく。坂本龍一のOpusも観に行きたい(聴きに行きたい)んですけど……。そんなことがあって昨日はしょんぼりしたり萎えたりイライラしたり、全部地震が悪いんだと心中で吐き捨てながら飲みに行った。先月異動で東京に行ってしまった元上司が夏休みで帰ってきたのだった。

地震が怖い。ここは日本海側だから津波が来ることはないだろうけれど、今日の朝刊で「もし南海トラフが起こったら県内は震度5程度」と書かれていて、ということは能登半島地震レベルの地震がもう一回来るということだ。そう思うと急に怖くなって、体が一気に重くなった。ここに生きてる私ですらそうなのだから、震源域に暮らす人たちはどれだけ怖いだろうかと思う。

今日もイライラしながら図書館で勉強。今日はいつにも増して悪筆で、ノートに書かれる文字のあまりの汚さにシャーペンをぶち折りたくなる。隣に座っていたおそらく高校生の男子二人が図書館だというのにずっと喋っていて、これもまたシャーペンを投げつけたくなる。しないけど。試験日が延びてしまったからどんな心持ちで、というか、どんなペース配分で勉強したらいいのかわからなくなってしまって、ひたすらにイライラしていた。でもイライラしていても時間は平等に過ぎていく。叩きつけるように文字を書いて、書いて、書きながら、6日間も休みがあるんだから大昔にメルカリで買ってそのまま忘れていた谷崎潤一郎の『細雪』を読むときなんじゃなかろうかと考えたりする。地震のことを都合よく忘れてしまう。

果たして、今日読み終えたのは蟹の親子『脳のお休み』だった。すごくよかった。しりとりみたいにして繋がっていく記憶たち。その記憶をひとつひとつ丁寧に渉猟して文章へと編み上げて、出来上がった一冊の本はそのままこの人の生と時間そのものだった。一人の人の中にここまで、重くて、鈍くて、だけど豊かな記憶があって、それを読ませてもらえるということは、紛れもなく幸せなことのように思えた。書き残す、という行為の尊さを改めてこの本が教えてくれたような気がした。

著者が飼っていたハムスターが死ぬ場面が印象的だった。

 値段の横に彼の寿命が書いてあったら、私は連れて帰っただろうか。少しでも寿命の長いハムスターを選び直しただろうか。けれど、丈夫かどうかあらかじめ掲示されるようなことがあれば、丈夫でなく生まれてきた時点で私たちは出会えなくなる。

 クマオから「どうしてあの中から選んだの」と訊ねられたら「あなただけ眠っていたから」と答えるだろう。そんなのは理由にならないだろうか。私は、早く目覚めてほしいと願いながら誰かの顔を覗き込むことが愛だと思った。

蟹の親子『脳のお休み』p.165-166.

私もかつて小学生の時にハムスターを飼っていて、そして彼もまた死んだ。私のハムスターが死んだのは運動会があった日の夜だった。あの日はとても暑い日で、暑い暑い運動会が終わって、夕食を終えて、冷房を効かせた涼しい部屋でヘッドホンで音楽を聴きながらPCに向かっていた。ふと部屋の隅に置かれたケージに目をやると、いつも隅っこでもぞもぞ動いているハムスターがケージの真ん中でぐったりとしていた。私はヘッドホンを外さないままケージに近づいて、とりあえず、ケージを叩いてみた。けれど彼は動かなかった。私はケージから彼を出した。それでも彼は私の手の中で動かなかった。かろうじて開いていた目もすごく眠そうで、今にも、彼は眠ってしまいそうだった。気づいた親が弟に言って、弟が音楽が鳴りっぱなしだったヘッドホンを私から外した。きっとこれで死んじゃうんだ、と、本当はわかっていた。だけどわかってしまいたくなくて、もしかして本当に眠いだけなんじゃないのかな、なんて、私は思考を逃した。父が水を飲ませようとした。だけど彼はその水を受けつけることなく、ゆっくり、ゆっくり、目を閉じた。そうして二度と目覚めなかった。

今でも思い出す、私の両手の中で命が消えたこと。それはとても静かで、音もなく、最後の息がゆっくり吐き切られて、終わってしまうのだということ。ハムスターは親が呼んでくれたペットの葬儀社の人が家でお経を上げてくれて、それから焼き場へ連れて行ってもらった。ハムスターは確か、3年生きた。ペットショップのケージの中で一番元気に動き回っていた子を連れて帰ってきた。小松菜が好きな子だった。いつもケージにぶら下がって雲梯をしていた。老いるとともにその体はぽてんと落ちるようになった。だけどめげることなくずっと雲梯に挑戦していた。あんな小さなケージが彼の世界の全てだったことを今となっては申し訳なく思う。

彼が死んでとても悲しかった。だけど、例えば朝起きてみれば死んでいた、とかではなく、この手の中で彼を看取ることができたというのは幸せだったのかも知れない。彼が幸せだったかどうかはわからないから、これは、私が幸せだったということ。愛していたよ。

@kyri
週末日記