北陸もついに梅雨入りしたみたい。今日の夜から雨だそう。これからしばらく雨が続くのかな。梅雨だからそうですね。雨はロングスカートが履けなくなるのでそういうところがちょっと嫌。ジュンブラ何を着ていけばいいのかな……。
キャロルが片手をゆっくりと上げて髪をかき上げるのを見て、テレーズは微笑んだ。あまりにもキャロルらしい仕草だったからだ。テレーズが愛している、いつまでも愛し続けるキャロルだった。もちろん以前とは違う形で愛することになるだろう。なぜならキャロルは前と同じキャロルではなく、一から知り合うのも同然なのだから。それでも彼女はキャロルであり、ほかの誰でもないキャロルだった。ふたりでこれから訪れる千の都市、千の家々のキャロル、ふたりが巡る異国の地、天国あるいは地獄のキャロルだった。
パトリシア・ハイスミス『キャロル』河出文庫 p.440
今日は午前中を勉強に充てて、夕方に『パトリシア・ハイスミスに恋して』を観た。生前に書かれた彼女の日記をもとにしたドキュメンタリー。私はハイスミスの作品は『キャロル』しか読んだことがないし、映画も『キャロル』しか観たことがなくて、そのくらいの知識だとちょっと勿体無かったなと感じた。もっとリプリーシリーズとか、『見知らぬ乗客』のヒッチコック版とか、観ておけばもっと楽しめただろうな。とはいえ、『キャロル』の映像がたくさん使われていたのは嬉しかった。
恋が多い人だったんだな。情熱的に、そして真摯に人を愛して、手に入らないことに傷ついて、ひとりでいる静けさを選んで、そしてインタビューにも「おおむね幸せよ」と答える孤独で孤高のたましいだった。長い時を経て、当時偽名で出版した『キャロル』を本名で再出版すると決めたときの彼女の気持ちを思っては、よかったね、という言葉ではとても足りない。それは限りなき勇気であり、覚悟であり、そして、幸福であってほしい。晩年になって彼女はようやく自分の名前を取り戻したんだ。
リプリーという青年の行く末について、インタビューで「彼は逃げ切るわ」と答えた時の彼女の表情はとても穏やかな笑顔で、まるで自ら生み出したリプリー青年を愛おしむかのような笑顔だった。それがいちばん印象的だった。
映画『キャロル』では(小説でもそうだったかもしれないけど)キャロルがテレーズのことを「空から落ちてきたような人」(だったと思うけど…)と表現していて、そして流れる音楽がどこかベートーヴェンのピアノソナタ『月光』を思わせるメロディで、この音楽はキャロルのこの言葉から生まれたものだったのかなと当時よく考えていた。久しぶりに観たいな。何度も観た映画ではあるけれど、いいものは何度でも観たい。公開された当時は私はまだアカデミー賞とかそういうものにあんまり興味がなかったのだけど、SNSでいろんなひとが『キャロル』がアカデミー賞に無視されたことに憤っていたのをふと思い出した。もしも公開されたのが今この時代だったなら、何か変わっていたかな。
明日は従妹の美容院に行く。そうそう、従妹は無事に自分のお店をオープンさせました。2年ほど青色を仕込んでいたイヤリングカラーを先月ミルクティー色に変えたのだけど、一瞬で色が落ちてただの金髪になってしまって、ジュンブラもあるし何かいい色はないかなと思っていたところに駅で綺麗なピンクブラウンの髪をした人を見かけて「いいじゃん!」とピンときたので今度はピンクを入れてもらおう。なお、私は会社員です……いつか本当に怒られる。