気づけば2月になってしまった。変わり映えしないな〜と思っているうちに日記も書かずに毎日が過ぎていく。
昨日『哀れなるものたち』を観に行ってきた。とてもよかった! エマ・ストーンが本当に素晴らしくって、彼女のベラをいつまででも観ていたかった。彼女がどこまで行って、生涯に渡りどんな旅をして、どんな終わり方をしたのかをどこまでも見届けたかったと思う。でもエンド、結局そういうことをしてしまってはいけないんじゃないのか?! とも思っていたら買ったパンフレットでも同じことを書いていた人がいた。ヨルゴス・ランティモスは他に『聖なる鹿殺し』と『女王陛下のお気に入り』を観ていて、初ランティモスは『聖なる鹿殺し』だったのだけど、あの時の衝撃は今でも忘れられないし多分これからも忘れないだろうなと思う。とにかく不気味すぎる怖すぎるでもう一回観たいようなもう二度と観たくないような。鹿殺しの恐ろしさを思えば『哀れなるものたち』はだいぶ見やすかったなと思う。『バービー』の着地と似ている。でも『バービー』はかなりアカデミー賞のノミネートを逃していて、この差は一体なんなのだろう。でも『バービー』とこの『哀れなるものたち』を並べられると私も『哀れなるものたち』が好きです! となるんだよなあ。個人的にはグレタ・ガーウィグは『レディ・バード』がオーーールタイムベストであってもう『レディ・バード』を世に出してくれただけでグレタはオールオッケー。それでもまだまだ作品を楽しみにしています。もちろん、ランティモスの映画も。(せめて『ロブスター』は観ておきたいとは思うもののなかなか機会がない)
と、ご機嫌になって帰宅してtwitterを見たらタイムラインに毒マロならぬ毒うぇぼを受け取っていた人がいてウワーッ! と叫びそうになってしまった。毒を送りつけてしまう人の中には一体何が渦巻いているのだろう。例えば誰かが自分にとって気に入らない言動をしていたとして、それを自分がコントロールできる、してもいいと思えてしまうんだろうか。何回考えてもわからない。人の言動は人のものでしかないじゃないか。だいたいtwitterなんて好きなことをしゃべっている人しかいないんだし、そのいちいちに目くじらを立てていてはそっちの身が持たないでしょう。私は二次創作についてはごくごく浅いところで、沼の片隅でぷかぷか浮いて楽しんでいる程度なのだけど、それにしても今のジャンルは毒にやられている人が多い印象を受ける。なんで? 大手だから? 人が多いと毒も増えるの? えっ? そんな民度が低くて大丈夫なの? きっと大丈夫ではない。毒にやられる人が一人でも少なくなってほしいというか一人もいないでいてほしいのに。と、ここまで考えて、そういえば私も大昔にtwitterで誹謗中傷されたことあったな……と思い出した。あの時はマシュマロもwaveboxもやってなかったけど、その人は捨てアカでひたすら私の悪口を言いまくっていた。見つけたときはショックで寝込んだな〜。そんなこともあった。だから毒を受け取って傷つく人の気持ちはわかる。誹謗中傷、ほんとうに無くなってほしい。毒マロとか毒うぇぼとか言ってるけどやってることは誹謗中傷です。あなたが毒を送ろうとしてるその画面の向こう側にも人はいるんだぞ! 月並みなことしか言えないが!
最近はよくわからないけどいきなり太ってしまって、なんでこのタイミング? と思っている。でも、色々考えるけれどよく食べてよく笑ってる方が絶対健康的だし見ていても安心するんだよね。私は食べることが好きでもあり嫌いでもあるけど私が食べないでいたら家族は心配するし、悲しむ。それを考えると、痩せを追い求めるのも違うんだろうな、とようやく実感として迫ってくるようになった。でも痩せていた方が私は自己肯定感が上がるので、難しいよな〜と思っている。太ったところで私という人格が消し飛ぶわけではないんだけど。でもあまりに長い間、痩せていることをアイデンティティの主柱に置き過ぎた気がする。これからまた長い時間をかけてそれを矯正していくのだろうか。