今日はお昼から母に車を出してもらって街の古本屋さんへ本と映画のパンフレットを持ち込んだ。箱に詰めてしまうと重くて持ち上がらないので服屋の紙袋に小分けにしたらすごい数になって車の後部座席が埋まった。古本屋さんに紙袋を全部お渡しして、1時間ほどカフェでティーソーダを飲んだりデパ地下で買い物したりして時間を潰してからまた戻る。事前に映画のパンフレットは査定対象外のタイトルも多く、いいとこ10円とか50円とかの買取額にしかならないと聞いていたので、かなりの数を持ち込んだけどまあいいとこ1,000円くらいもらえたら御の字だなと思っていたのだけど、全部合わせて8,200円という驚きの高値で買ってもらえてすごくびっくりした。古本屋のご主人からは「このラインナップだったらいつでも引き取りにお伺いしますよ」と言ってもらえた。お金が欲しいわけじゃないって昨日の日記で書いたし、それは今でもそう思っていて、だから今日のことでもいちばん嬉しかったのはご主人のこの言葉だった。地元に帰ってきてから、この街にもミニシアターはあるしちょくちょく行くけれど、どうしても大阪や東京には及ばないなあと感じていて、だからかつて大阪にいて映画をたくさん観ていた自分もこの街ではあんまり価値がないんだろうなあと感じていたけど、こうして買い集めたパンフレットたちに思いがけない高値がついて、わかってもらえたような、認められたような気がした。今に至るまで、ご主人の言葉を反芻している。大阪にいたときと比べたら観ている本数も少ないし、パンフレットもめっきり買わなくなってしまったけど、私はやっぱり映画が好きで、それは、たまに誰かにわかってもらえる瞬間がやってくるということ。宝物たちが手元を離れてしまったのは少し寂しいけど、引き取ってくれたのがあのご主人でよかったなって思う。私はこれからも本を読んで、映画を観よう。
帰ってきてから短編の続きをちょっと書いたけど、主に読書をしていた。モナ・アワド『うさぎ狩りの夜に』と大島育宙『なぜあなたの感想はふつうなのか』を読み終える。
前者は、最後まで読んで、やっぱりぶっ飛んでいた。展開がぶっ飛んでいるので、ちゃんと読めているのかが甚だ怪しい。明らかに想像力が追いついてない。とはいえ、バニーたちのグループが自壊するきっかけがあれだったのは、なんかそこだけ凡庸というか、結局そうなるのか? と思ってしまった。いや、結局バニーたちも凡庸な女の子に過ぎないんじゃんという意図でのことだったなら狙い通りなのかもしれない。そこだけ切り取れば凡庸な展開なんだけど、そこに至るまでの経緯がぶっ飛んでいるので、プラマイゼロ? いや、どうせならどこまでもプラスに行こうぜとも思ってしまうけど。こんな狂気に落とされるなんて創作は体に毒というか、まともに生活していきたいなら創作はやめた方がいいんじゃないのか? と思ってしまう。でも、狂気に落ちるからこそ楽しいのかも。でも大学で創作を学ぶとあんなことになってしまうなら一人で黙々机に向かってた方がいいような気がする。表紙の色もイラストも可愛いのに全然可愛くない小説だった。シスターフッドとは?
後者は、すごく挑発的なタイトルだと思って買ったんだけど、もっと辛辣なことをズバズバ言われるのかと思っていたけど全然優しい本だった。「そうそう、それは私も思ってたんだよ〜」と思うところが何箇所もあったけど、それこそ自分での言語化をサボってるということだよなと気づいてちょっと面白かった。いきなり菅田将暉を熱く語られたりしてテンションが上がった。『溺れるナイフ』の彼の神性は凄まじいものがありますよね!! なぜあなたの感想はふつうなのかというタイトルだけど、中身は結構真っ当? な読書論というか、まあそうですよねという感じの指南書だった。読書会と創作会の効果については、実際私も20代のときに何回か読書会とか映画会に参加したこともあるけどそのときは毎回ほぼ初めましての人たちと本や映画の感想を語り合うのが結構精神的負荷が高くて毎回すごく疲れちゃって結局行くのをやめてしまった(コロナ禍にも突入してしまったし)過去があるので、3人くらいの少人数で会を回すというのは確かに、それくらいならやれそうな気もする。でも、こうして自分だけのブログで一人で感想を語ることならできるんだけど、話すのがすごく難しいんだよな。読書会や創作会への憧れは確かにあるけれど、色々考えて、やっぱりいいや……となってしまう。というか、そもそも、別に感想はふつうでよくないか?(それを言い出すと終わり)