20240214

kyri
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バレンタインデー。twitterでたくさん推しカプのバレンタイン作品を見れて良い日だった。あったかかったし。じきに春が来るのだろうな。とか思いながらtenki.jpで2週間後の天気を見てみたりすると雪とか表示があって目を疑ってしまったりする。2月後半になってもまだ雪は降るんですね。そりゃそうか、ここは雪国。昨日と今日はとてもいいお天気だったけど明日からまた雨が降るみたいで、ちょっとしゅんとしている。

やっぱり原稿のことを考えている。最近は原稿のことしか考えてない。前の日曜日に新しい回をアップして、その続きにはまだ取り掛かっていないのだけど、「別れるまで」は書き終えてしまったので、あとは「別れたあと」をちょっと書いてフィニッシュになる。なるんだけど、この、「別れたあと」ってどんなんだろうな……と、ここにきて立ち止まってしまった。プロットを作り込まないからこんなことになる。いや、頭の中にあるにはあるんだけど。ちょっと自信がなくなってきて、自分が恋人と別れたときってどんなんだったっけな……と記憶を掘り返しているところ。それも大昔のことである。30代も半ばになろうとしているところ、今でも20代の記憶に頼ってものを書いている。しょうがない、20代(前半)までが光り輝いていて、(後半)からはひたすら体調不良と闘う歴史であったからだ。しょうがないと思いたい。

別れた時。恋人に別れを告げて、朝まで一緒に過ごし、午前の電車に乗り、部屋に帰りつき、音楽を聴きながらひたすらに泣いた。失恋って、名詞ではなく動詞なんだなと思った。悲しいでも寂しいでもない、あれは「失恋」という感情だった。「痛みは元々あって、それを誰かと一緒にいることで埋めていた」と語ったのは宇多田ヒカルだったけれど本当にそうで、それまで見ないようにしてそうできていた痛みが心の空洞に一気に流れ込んできて、痛くて、息ができないくらいに痛くて、そして、痛かった。だから泣いた。たくさん泣いた。耐えられなくなって、その日たまたま休みが同じだった大学時代の部活の後輩に電話で助けを求めて会いに行き、ご飯を一緒に食べてもらった。それでぽつぽつ話を聞いてもらって、ちょっと持ち直した私は食べるだけ食べて蜻蛉返りし、レイトショーで『アデル、ブルーは熱い色』の3回目を観に行って、アデルとエマの再会のシーンでまた泣いて、映画館を出てからもまだ泣いて、人のいない梅田の街を歩きながら別の友達に電話をかけてまた話を聞いてもらい、一人で部屋に帰った。これが今でも強烈に記憶に残る失恋の記憶だ。平凡といえば平凡である。10人いたら5人は似たような失恋を経験するかもしれない。けれど私にとってはこれが大きな失恋だったのだ。この記憶のことを今日はずっと考えている。何か活かせるものがないかとずっと考えている。でも自分の経験や記憶に頼ってしかものを書けないというのもどうなんでしょうね。私は自分の経験や記憶が好きだからあえてそうしているというのもあるけれど。

それにしても、今書いてる原稿も残すところは最終回だけなんだけれども、ここにきて、やりたいことの半分もできなかったなと反省している。歳を取るにつれて、「書きたいところしか書けない」になっていくのを感じる。ひとえに体力がない。書く体力。10年前、若さと情熱だけはあったから創作BLで30万字も書けたけれど、あのときの半分の体力も残ってないなと感じる。書き続けていないとそりゃ体力も落ちる。私はすごく短距離走タイプだから、すごく速く走っては止まり、走っては止まりを繰り返すのでなかなか持久力がついていない。30万字も書けたのは若かったからである。あのときはこれが実力なんだと思っていたけれど、確かに実力だったけれど、若かったことが大きくプラスに作用したんだというのはどうしてもそう。だけど人生で若い時間なんてあっという間に過ぎ去ってしまう、若くなくなってからどうするかの方がよっぽど問題なのだ。とはいえ、今でもまだ若いだろ……とは思いたいけど。私はつい最近までずっと自分の人生は短いものだと信じ続けてきた。けれどそうじゃないのかもしれないとようやく思えてきた。私は私が思うよりもっと長生きするだろう。だから、自分の人生を長い目で捉えなくちゃならないんだ。人生まで無理して短距離走にする必要はない。

@kyri
日々と二次創作の間で