20240603

kyri
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公開:2024/6/3

刺青が完成して、スプリットタンが完成したら、私はその時何を思うだろう。普通に生活していれば、恐らく一生変わらないはずの物を、自ら進んで変えるという事。それは神に背いているとも、自我を信じているともとれる。私はずっと何も持たず何も気にせず何も咎めずに生きてきた。きっと、私の未来にも、刺青にも、スプリットタンにも、意味なんてない。

金原ひとみ『蛇にピアス』p.80.

誕生日を迎えて、34歳になった。朝から緊急地震速報が鳴って、少し揺れた。毎年誕生日には仕事をしないと決めているので休暇を取っていて、さっきまでずっと寝ていた。朝10時をすぎてようやく起き上がり、これを書いている。BGMはあいみょんのマリーゴールドがかかっている。

誕生日の日には何を書けるのかな、と思っていたのだけど、特に、大したことは書けないだろう。34歳という微妙な年の誕生日はあんまり、変わり映えがしない。たとえば、30歳の誕生日なんかはすごく気合を入れて迎えたような気がするけれど(あのときはまだ大阪に住んでいた)30代にもすっかり慣れてしまって、もっと言えば地元の生活にもすっかり慣れてしまって、今の私は何においても惰性でしか生きていない、ような気がしてならない。私はいつもぼんやりしていて、何を深く考え込むこともなく、ただ映画を観て、本を読んで、たまに服を買って、そんな生活がこれからも眼前に広がっている。それでも、34歳は30歳とは全然違う。30歳は、今思えば、ぜんぜん、若かった。全部がこれからだった。だけど34歳は、そんな真新しさも無くなって、惰性だけで生きることも全然できるけれど、だけど社会的には、まごうことなき大人だよね、だからもっとちゃんとしなきゃだめじゃんと、そう言われているような気がしてならない。

20代のときに、それまでの人生を全部詰め込んだ小説を書き上げて、書き上げた後のことをずっと余生だと思っていた。そういう意味では今も余生を生きている。あの小説を書き上げてからの私は何も新しいものを生み出さず、長い小説が書けるわけでもなく、ただ、なんとなく生きてきた。なんとなく生きて、30歳になり、そして今年34歳になった。書き上げてからもうすぐ10年になろうとしている。10年は、余生と呼ぶには長すぎるような気もする。なんだかんだで、生きられるのだ。大きな目標が無くなったとしても、人は生きていける。死ぬより生きる方がずっと簡単なのだから。

金曜日に上司とインドカレーを食べに行って、これからどうしたいのか、行ってみたい部署はないのかと聞かれた。だけど私はしばらく考え込んでみても、特にないですねとしか答えられなかった。この会社に入って一番働きたかった部署には20代ですでに行かせてもらって、若かったから下っ端な仕事しかなかったといえばそうだけど、それでも政治に近いところの仕事だったり企業合併の仕事だったり、大きな仕事をさせてもらったと思う。あれを経験できたから、やっぱり、あの仕事を経た後の私は、仕事の面でも余生の気でいるのかもしれないし、実際、もう何も望むものがないのだ。

何も、望むものがない。

去年、33歳になったら死のうと思っていた。誕生日より先の予定を入れなかった。だけどやっぱり、生き延びてしまった。生き延びて、34歳になってしまった。今、死にたいかと聞かれたら、死にたくない。随分、死にたいと願うことは減った。死にたいと願って死ねるほど人生は簡単にできてはいないから。そんなことに気づくのにも、こんなに時間がかかってしまった。私はいつも時間がかかりすぎるのだ。いろんなことを考えるのに。いろんなことを理解するのに。いろんなことを決めるのに。

「人生そのものに意味なんてなくて、そこに意味を持たせていくのはあなたなのよ」と、かつて友達だった人に言われたことがある。その彼女ももう私から離れてしまって随分経つけれど。彼女が言う通り、人生に意味はないのだろう。意味のないことばかりが積み上がって、だけど、意味がないとは思いたくないから、何にでも、後付けで、意味というものを、そこに名づけていくのだろう。それは尊い営みだ。人生に意味はないけれど、そこに意味を名づけていくことを諦めてはならないのだ。

34歳になりました。自分が思っていた大人とはちょっと違うし、かけ離れてもいるし、こんなに欲も気力もない人間になるとも思っていなかったけれど、それでもどうにか生きていく。できれば健康に、できれば好きなものを増やし、できれば嫌いなものを減らし、できれば、幸せに。幸せというのは一種の動的状態に過ぎないからあまり当てにはしないけど、でも、幸せに。なんか書きたいことの半分も書けなかったような気がするな。幸せって何なんだろうね?!

@kyri
週末日記