昨日は金曜ロードショー『千と千尋の神隠し』を観ていたので日記を書けなかった。
4日は在宅勤務だったけど、年末に誘われていた新年会に参加するため結局電車に乗ることに。お店で集合。みなさん案外ケロッとした顔をしていて、今年もよろしくお願いしますと頭を下げる。車通勤のみなさんは普通に出社していて、会社の惨状写真を何処か楽しそうに見せてくれた。キャビネットに鍵をかけていなかった人の引き出しが地震で全開になっていたり、机に積み上げていた書類は全部床に散乱したり、コピー機が動いていたり、応接室にあった謎の壺が割れていたり、画面にあったのはまごうことなき「被災」だった。今日は暖房もつかないしトイレも使えなかったし、すごく寒かったと同僚の人が顔を顰めた。あなたは来なくて良かったよ、寒がりだからね。
ご飯を食べながら元日の話をする。みんなそれぞれ被災して、避難もしていた。中でも海に程近い家に住んでいた人は高齢で車いすのお母さんもいることから、お兄さんと協力して車に乗せて、高台にある温泉に避難したそうだ。「セレブ避難」だと笑われていたけれど、高齢のお母さんもいて、しかもあの日は結局夜中になるまで津波警報は解除されなかったのだから、避難としては一つの正解だったんじゃないかと思った。もちろんお金を持って出てこないとだめですが。うちの家族はなんてったって全員気が動転して財布も何も持たずに家を出たので。そんなことは言わなかったけど。そして、富山県で震度5強を記録したのは観測史上初だったらしいという話をする。こんな長い地球の営みがあって、対して人間の寿命は長くて100年程度で、東日本大震災やこの能登地震に遭遇してしまうのはどんな宿命なのかと上司が言った。でもそれを言い出したら100年前は関東大震災だってあったし、特に私たちの世代に災害が集中しているわけではないんでは、と、正直思っていたけれど、しかし後日テレビを見ていたら富山大学の教授が「この能登地震は1000年か2000年に一度のものだと思う」とコメントしていて、上司の感想もまあまあ的を射ていたのだった。ご飯は美味しかった。年末に同じ店で忘年会をしたのだけど、その時私はちょうど風邪をひいて欠席してしまったので、リベンジということで同じ店をまた予約していただいたのだった。食べている間も余震があった。お店にいた人みんなが天井を見上げて、揺れてるね、揺れてる、と言う。
昨日は初出社。一日が経って、オフィスは何事もなく元通りになっているように見えた。けれど最上階の天井が崩落の恐れがあるからと立ち入り禁止になっている。昼休みにテレビをつけて、ニュースで能登地震の死者が増えたことを知る。生き埋めになっている人が100人程度いるということも。日本赤十字社が寄付の受付を開始したので、リツイートをする。新潟に住んでいる友達がすぐさまリツイートをしてくれた。何気ない会話の中での上司の「うちも一応被災地だからさ」という言葉にちょっとドキッとする。
それでも、県西部の被害はまだまだひどいものがあるけれど、私の目に見える範囲では少しずつ元通りになって、このまま大丈夫になっていくのかもしれないと思っていた。帰宅して、テーブルの上に広げっぱなしになっていた朝刊の一面が目に入る。
「富山の中1 輪島で死亡」
喉がぎゅっと閉まって、心臓を無数の針で刺されたような痛みを覚えた。ぶすぶすぶす、っと、針が埋まっていく。針の刺さった心臓は冷たかった。
死が近い。彼は元日の朝に輪島の祖母宅に向かい、被災し、倒壊した住宅に巻き込まれたという。こうして人の生と死を分けるものはなんなのだろう。ある人に死が迫り、ある人は免れる、この違いはなんなのだろう。なぜ彼に死が迫らなくてはならなかったのか、私にはわからない。
今日も朝から大きめの余震がある。寝ぼけ眼で寝返りを打って、枕元に置いてあるスマホの画面をつける。twitterを開いて、特務機関NERVのアカウントを真っ先に見にいく。能登は震度5強。こっちは震度3程度。今日の朝刊の一面は「県内住宅被害338件」。そしてこれを書いている間にyahooから「能登半島地震の死者 100人に」という通知が入る。
この日記はそのうちネタ切れになるだろうし、いつフェードアウトしてもおかしくないなと思っていたし、フェードアウトしたらしたでもういいやと思っていたのだけど、こうして近い場所から地震のことを記録し続けるというのは意味のあることのように思えてきた。私は自分のことを「被災者」だとはあまり思っていないけれど、それでも津波警報で避難するというのは生まれて初めてのことだった。それは大半の県民がそうだ。震度5強だって観測史上初めてなのだから、津波で避難するのだってきっと史上初だ。それに私は結局自分の文章を読みたいから自分で更新するのだろう。一番の読者は自分であることを、二次創作や日記を書いているとつくづく思う。この世で一番私の作品を楽しみにしているのは私なんだが、それが叶うためには私が書かなくてはならないということ。ということは私が二人いればいい。そういうことをずっと考えている。それはそうとして二次創作の続きが辛くて書けないよ〜〜。なんでこんな辛い話を書こうと思ったんだろう、そして、なんで自分に書けると思ったのだろう。数ヶ月前の私の見切り発車に今の私は心底困っている。まあ、やるしかないんですが。頑張ります。結局なんでこんな話で締め括ってしまうのか?