朝起きるとすごい雨が降っていて、ついにここにも台風が……と思ったけれど案外すぐに止んでしまった。今日は祖母の誕生日プレゼントを買いに行くために出かける日。ついでに図書館に行って映画も観る。眉サロンにも行く。
図書館に少し前から柚木麻子コーナーができていて、なんでだろう? 司書の人にファンでもいるのかな? と思っていたのだけど、今日行ってみたら講演会のお知らせが出ていた! すごい。我が街に柚木麻子がやってくる。喜び勇んで申し込む。サイン会もあるとのこと。氏の作品は全部は読んでいないけれど、結局いちばん好きなのは今でもデビュー作の『終点のあの子』一択。次点に『BUTTER』。せっかくなので講演会までに『終点のあの子』を再読したいと思う。『BUTTER』についてもめちゃくちゃ面白くて、続きが待ち切れなくて平日の朝5時半に起きて読んでいたことを思い出す。それからしばらく近所のパン屋とかでエシレバターが使われたパンを見かけたら買ったりしていた。影響を受けやすすぎる。
祖母の誕生日プレゼントは迷ったけれどハンカチ2枚にして、自分用にヴィヴィアン・ウエストウッドの靴下1足と黒のストッキングを買う。買い物を済ませて映画館へ向かう。今日観たのは『RICHLAND』。
『オッペンハイマー』を観たので、ぜひこっちも観たいと思っていた映画。主に町のシンボルであるキノコ雲について、原爆投下について、そして被曝についてどう思うかを町の人にインタビューしたドキュメンタリーなのだけど、この町の人たちがどうであるかを評価する前に、完全に透明な目で映されたドキュメンタリーというものは存在しないよなということを考えていた。かつて高校のトレードマークであるキノコ雲をやめようと働きかけて失敗したと語る中年男性がいて、やっぱりこのキノコ雲のシンボルは嫌だという今まさに高校生として生きている人たちがいて、ここに世代の違いを見出そうとするのは簡単だけど、高校生たちはこうも言う。「もし僕たちがキノコ雲のシンボルをやめようと言い出しても同じ数の学生たちが反対するだろう」「この町の人たちは意見が違いすぎる」ということはキノコ雲のシンボルに反対する学生のインタビューの方を映画に採用することもまた恣意的なものだ。ドキュメンタリーと言っても完全に中立なものはきっと存在しなくて、ドキュメンタリーと言ってもそこにはどうしてもフィクション性が生まれて、改めて、ドキュメンタリーというジャンルの難しさというか、不思議さを思っていた。
とはいえ、この映画は核爆弾開発に従事したその歴史、原爆投下、その他この町の諸々に肯定的な人たちを反核の視点から安易に断罪するものではない。もっと様相は複雑で、人々の核に対する考え方にもグラデーションがあるし、それ以前にこの町の人たちにとって核とは思想云々より生活そのものなのだ。ここまで書いて、『この世界の片隅に』を思い出す。あれもすずさんの家の男性たちは海軍施設で働いていた。それが生活そのものであったとき、そう簡単に善悪の話で断罪はできない。たとえ原爆投下はあの戦争に必要なことだったと語る人に反射的に不快感が芽生えたとしても、はいじゃああなた悪人ですねとは言えない。結局はどの立場に立って、どの方角から物事を見るかというその違いで意見の違いも生まれる。そして生活とは、その人自身とは、どんなものであろうと多面的だ。一面だけを見て判断することもできない。そういう意味では、居心地の悪い映画だった。だけど、人々の意見の違い、町が抱える放射性廃棄物の問題、被曝の問題、原爆を作ってしまったという歴史、そんなものがもし混じり合う、溶け合う、あるいは全て消し飛ぶ、そうなったときにこの地に残るのはただ、祈りなのかもしれないとも思った。
山内マリコ『マリリン・トールド・ミー』を読んだ。こっちも私にとっては苦しい読書だった。主人公である杏奈がマリリンを通して自分の言葉を獲得していく物語だけど、私は杏奈のように、まだあらゆるフェミニズムについて、実感として獲得できていないなと思う。
あたしはいつの間にか、正しい振る舞いや発言を身につけていく。こういうの炎上しそうだなっていう発言や表現に敏感になっていく。どんどんアプデされてる感じがする。なんだか学習させられてるAIみたいだ。自分の頭で考えてるっていうより、顔色を窺ってる感じに近い。何度も同じミスをして、そのたびにプログラミングに修正を加えて、だんだん世間の顔色を上手に窺えるようになったっていうのが、いまのあたしだ。
山内マリコ『マリリン・トールド・ミー』p.78.
これは今の私でもある。しかし杏奈はまだ大学生だが私はもう30代も半ばである。早く自分の言葉を獲得したい。大学生だった私、一体何してたんだろう。思えば部活においても勉強においても舞台のことしか考えてなくて、ジェンダーの分野に全く関心がなかった。それもあるし、私は「怒る」ということがすごく苦手だ。昔は怒ってばかりいたけど年々苦手になっていく。適切なタイミングで適切に怒ることができない。だからマリリンに対する男性目線からの評価の雑さに真っ直ぐに怒ることができる杏奈は眩しかった。物語は順風満帆な杏奈の成長ストーリーではなく、エンドもそれは結局根本的な解決にはなっていないのでは……と正直思ったのだけど、それでも、頑張れ、と言いたくなった。(個人的にはワーホリにも良し悪しがあると思ってるので、手放しに杏奈の選択を絶賛することもできないけど……)
台風の進路は二転三転し、最終的にはうちの地元に向かってやってくるという。まじで困る。でも今まで散々二転三転してきたということはこれからも二転三転する可能性があるということだ。そろそろ追いかけるのも疲れてきた。あとは覚悟を決めることくらいしかできることがない。