20221223
予約の時間に着くためには前泊する以外に方法がないと、最初に気づいたのは夫だった。しかしその事実を教えられて尚、私はこたつに肩まで埋もれながら、ぼんやりと赤の他人のTwitterを眺めていた。
「五所川原に朝10時までに着く電車、無いよ」と乗り換え案内が表示されたスマホ画面をわざわざこちらに寄越しながら彼はもう一度言った。青森で開催されるぽこピー展に行くのは私ひとりのはずなのに、夫が新幹線の時間を調べているのか疑問だったが、冬の青森に己の常識のみを携えて足を踏み入れることの危険さを語る彼はいつもより饒舌だった。
手持ちのチケットは、「売れ切れ」の言葉に焦ってとりあえず目についた時間の枠で予約したものだった。日々の精神的支えであるVTuberが使っている、モノホンのパペットや着ぐるみが見れるまたとない機会だと心待ちにしていたイベントではあったものの、月半ばの時点ですでに60時間超えの時間外労働で体力はほぼ底をついており、その心身の疲労は、推したちが放つ燦然とした輝きすらぼやけさせた。それに加えて夫から伝えられる懸念事項の数々。
行くのやめようかな、雪こわいし、と存外やけくそ気味になった声色で言うと、夫は「生で見れる機会もうないかもよ」「行かないと後悔するかも」と、うってかわって今度は焦ったように背中を押すような言葉を並べた。そして自分の登山用シューズをあらためて洗い、私の仕事用パンプスの横に置いてくれた。行く、行かないの決断を、いつまでもだらだらと先延ばしにしている私に、夫はそうやって他にも甲斐甲斐しく世話を焼いた。自分の発言が私の気を削いだと勘違いしているようだった。何もしなくていいと言っても聞かなかった。申し訳なかった。
私は一体何をしにいくんだっけ。金曜日の夜、布団の中ではそんな後悔に苛まれていた。ぽこピー展にいくのであれば明日、必ず出発しなければならない。正直憂鬱だった。こんな風に夫に気を遣わせるなら、さっさと行かない決断すべきだった。そもそも東京のほうに行けばよかった。藤原新也の写真展をみて、わるい本田の聖地高田馬場の散歩でもしたらよかった。そっちの方がはるかに満足感が得られそうだったじゃないか…。そうやってここにきてもなお自分のことばかり考えている自分自身も情けなく、悲しかった。
土曜日の朝、夫は「楽しんできてね」「美味しいラーメン食べてきてね」と言い残して出勤した。玄関で背中を見送り、視線を落とした先には夫が洗った登山用シューズがあった。なんとなく、これを履いて、青森に行って、「ありがとう、おかげで楽しめたし、すごく助かったよ」と、彼に言うのが私が今やるべき最善の行動のような気がしてならなかった。
取り急ぎ荷物を詰めたリュックを背負って出発したのはその一時間後だった。もう迷いはなかった。彼の登山用シューズは私にはかなり大きくて、最寄り駅までの20分の道をバコバコと音を鳴らしながら歩いているとなんだかロックマンにでもなったようで、勇ましい気分だった。ロックマン、遊んだことないけど。
新幹線の中で友人からの「寒中見舞い送ってもいい?」という連絡に返信する。多忙のなかでも自分以外の人間への心くばりを忘れない友人へあらためて敬愛の念を募らせていると、「本田サンタ来るといいね。メリークリスマス!」というメッセージがポコンと返ってきた。念のため付記するとその友人は私がどうやら「本田」という黒髪の男性に狂ってるらしいということしか知らない。
本田サンタのことで頭がいっぱいになっていたら2時間が経過していた。窓の外を見やると、白い雪以外の視覚情報がすべて消え失せていた。