5月2日は毎年サイクリングをする

kzhrk
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ゴールデンウィークの中日にあたる5月2日に毎年サイクリングをするようになった。

はじまりは2017年なので今年で8年目だ。コロナ禍の非常事態宣言中と、有給が取れずに5月3日の憲法記念日に振替サイクリングをした年もあるので通算だと今年で6回目のサイクリングだ。

サイクリングなんて天気がいいゴールデンウィークのどこかで行けばよいだけなのだが、5月2日に行かなければいけない場所が2つある。

ひとつは国立市にあるたまらん坂。

たまらん坂は忌野清志郎の昔の下宿先だ。多摩蘭坂というタイトルの楽曲も発表している。

たまらん坂は住宅街のごく平凡な坂で、小さな石の標柱が立っているだけだ。しかし、5月2日にだけここは聖地になる。

標柱の前には忌野清志郎の関連グッズが置かれ、ビール缶や煙草が供えられる。

数年前にサイクリングでここを訪れたとき、東京新聞の記者に取材を受けてネット記事として自分の写真とコメントが残されていたりする。

5月2日がなぜ特別な日なのか。それは2009年5月2日が忌野清志郎の命日だからだ。

サイクリングで訪れる地のふたつ目は高尾霊園だ。ここには忌野清志郎が眠っている。

5月2日、毎年のように清志郎の墓前に立つようになった。具体的なきっかけは覚えていない。

自分が忌野清志郎を認識したのは清志郎が亡くなってからだ。生前に君が代ロックでニュースを騒がしていたのは記憶にあるが、楽曲やその生涯を知るようになったのは清志郎の訃報を受けて清志郎のことを語ってくれた数多くのミュージシャンがいたからだ。

だから忌野清志郎には興味があって、その命日は強く心に残っていた。7年前の最初のサイクリングでたまらん坂を目的地に選んだのもそのためだった。

そう。最初の年はたまらん坂を目的地としていて、高尾霊園に墓参りにいく予定ではなかった。

たまらん坂までは約25kmで、高尾霊園までは約50kmで倍の道のりになる。

なぜ最初のサイクリングで高尾霊園まで足を伸ばしたかというと、たまらん坂で偶然にも忌野清志郎ファンのサイクリストに出会ったからだ。

たまらん坂で清志郎のことについて話しながら「高尾霊園に清志郎のお墓があるので行ってみません?」とその場のノリで提案した。相手も意気投合してぜひ行きましょうという話になったので、たまらん坂から高尾霊園まで25kmのツーリングになった。

それからずっと、5月2日になるとその友人とメッセンジャーでやりとりするようになった。本当に5月2日のこの日にしかコミュニケーションを取らない不思議な関係だ。

5月2日以外に連絡を取ったのは、2019年に日比谷野外大音楽堂で忌野清志郎 ロックン・ロール・ショーがあって、その現場で会った一度きりだ。

2022年は有給が取れずに5月2日のサイクリングを見送った。そのときは特に特別な感情は抱かなかった。しかし、5月2日にメッセンジャーで届いた「ついた」というメッセージに「本日お仕事なので明日お参りに行く予定です🙇‍♂」と返したときに表現できない感情になった。

年に一回しか連絡しない友人だからこそ、その日を大事にしないといけないとそのときに強く思った。

今年も清志郎の墓前に立った。友人以外にも、清志郎が大好きな、名前も知らない人たちが毎年その墓前に集まっている。

清志郎と同じ高校で同年代の方、清志郎が大好きな夫婦、青山ロックン・ロール・ショーに参加した方。今年も多種多様な方と話ができた。

今思えば、5月3日に振替サイクリングをしたときは墓前に立っている人は自分ひとりだった。

5月2日というその日が、清志郎というレジェンドを愛する人を引き付けるのだ。

愛し合っているよ。清志郎。

@kzhrk
しずかに