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中2の時、引きこもりだった。

母親が手配をしてくれて、夏休みに横須賀にある母親の親友の家に1人で旅行に行った。初めてのひとり旅が楽しくて、事ある毎に写真を送った。2日目の夕方に既読がつかなくなった。祖母に電話を掛けた。

ママから返信が来ない、どうしたの?

閉鎖病棟に強制収容されていた。

中学から不登校で、その原因の一端が精神病持ちの母親のケアであることと、「独りにしないで」という願いを受け容れていたから、というので、市に目を付けられていたと。

大人たちは、私のひとり旅の隙を狙った。

母親が私に依存していることは幼心に理解していた上のことで、私は、別に、母親が落ち着いてさえいれば家での日常も楽しかった。

元は母と二人暮らしだったので、不登校のまま1人で暮らしていた。ゲームかネットサーフィンしかしていなかった。

近くに住む祖母が毎日休まずご飯を届けに来て家事をしてくれた。

全部嫌になった。

自室と外を隔てるものはすりガラスの引き戸だけで、そこに「開けるな 開けるな 開けるな 開けるな 開けるな 開けるな 開けるな 開けるな 開けるな 開けるな 開けるな 開けるな 開けるな 開けるな 開けるな 開けるな」と書き殴ったガムテープを張り巡らせた。祖母に声を掛けられても、知らない施設の人が来ても戸を開けず、返事をしなかった。開けられそうになった時は手元にある物を戸に投げ付けた。

少しずつ制限が解かれた母親から毎日LINEが届いても返さなかった。死んだと思われたら面倒なので既読だけはつけた。絶望してみたり、淋しがってみたり、反省してみたり、責めてみたり、愛してみたり、忙しい人だった。

ネットサーフィンの日々。

踊ってみたを知って、パオパオチャンネルを知って、あーずーを知って、『ハロ/ハワユ』を知った。

母親に贈ろうかな、と思った。

練習した。久々にタンスを開けて、白いワンピースを探した。

お風呂に入って、髪を乾かして、結んで、着替えて、動画を撮った。

歌詞を読んで欲しくて、初めて編集をした。

画面録画なんて知らなくて、暗くした部屋で毛布を被って、その中でタブレットの画面を直撮りした。なので画質も音質もガビガビ。

動画は送らなかった。