東浩紀氏の新R25チャンネルのインタビュー動画を観た
https://www.youtube.com/watch?v=YJOR_Bjt3ew
結論は「若い時の苦労は買ってでもしろ」というもので、それは私の親世代からそうなので改めて関心はなく、主に渡邉氏側の意見に注目して視聴した。
いきなり以下のメタ議論から始まる
長期的な視点に立ってコスパを捨てるという考え方も、究極的には長期的な利益という「結果」を時間に対して求めている点で、コスパ主義的である
このことから、時間をどのように捉えているのかという観点がある。若者が過ごしてきた年数と経験から想像できる時間感覚、年配のそれは大きくことなるのではないか。共通の認識ができるのか。
動画内では「コスパ」という言葉が明確に定義されておらず、「時間に対して得られる結果」という抽象的な意味合いで使わる。金銭を支払い性能を買うといった具体的な文脈はほとんど見られず、コストは主に「投入した時間」として認識されている。そして、パフォーマンスについては、金銭や生産性よりも満足度や幸福感といった感覚的なものを指していることが多い。
パフォーマンスが感覚的であるため、議論はそこに集中している。
東氏は、年配者が新しいやり方を取り入れず、従来のやり方で仕事をするのを「本人にとってコスパが良い」と表現する。時間を投入しても期待する結果が得られないと本人が判断している。AIツールの例では、PC作業において新しいツールを習得するよりも、慣れた方法で成果物を出す方がその本人にとってはコスパが良いと判断されるという。パフォーマンスの評価が個人の感覚に根ざしている。
渡邉氏の話からは、若者の個人の感覚として「時間に対して結果が得られない」という不安が強く出ているように感じた。パフォーマンスを本人が決めるという視点からすれば、この感覚もまた正しい。
思考実験
時間をかけないが満足度の低い行動はコスパが悪く感じるのか?予想では、時間を消費しない行動はコスパが悪いとは感じにくいと考えられる。むしろ、短時間で何らかの結果が得られるのであれば、一時的にはコスパが良いと感じる可能性もある。
自分の収入が1/10になったらコスパ思考に変化は起きるのか? 収入が大幅に減少した場合、将来への不安が増大し、「時間に対して結果が得られない」という感覚は強まる可能性がある。生活防衛のために、より直接的で短期的な結果を求めてしまう。
コスパ思考に囚われる背景には、経済的な不安や将来への不確実性など、長期的な視点を持つ余裕のなさが影響している可能性があり、それを単に「若者の問題」として捉えるのは、問題を矮小化しているという視点も考えられる。というのは東氏も言及している。