『粉瘤息子都落ち択』は第49回すばる文学賞受賞作
これを読んだ人の第一声は「何これ?」になると思う。筋書きの分かりやすさや、カタルシスを期待すると肩透かしを食らう。ただ、自分はこの文章に、インターネットで長く燻ってきた人特有の空気を感じた。
タイトルがまず象徴的だ。 「粉瘤息子」は放浪息子のもじりだろうか。粉瘤がニキビ的な身体の出来物であることは知っているが、怖いので画像検索はしていない。
「都落ち」は、地方出身者にはかなり生々しい言葉だと思う。東京で暮らすことを、何らかの理由で断念せざるを得なかった経験がある人なら分かる感覚だ。自分もその一人で、敗戦に近い喪失感や、人生が正規ルートから外れてしまったような感覚を思い出す。
「択」は格闘ゲー用語だ。攻守の読み合いで生じる選択肢をN択と呼ぶところから派生して、「一択」「択が多い」「〇〇するということ」など、Decisionそのものを指すジャーゴンになっている。あまりに日常語なので、主人公もそれをただの東京弁だと思い込んだまま社会人になり、言葉遣いを職場で怒られている。
それも無理はなくて、主人公は上京後ほとんど友人ができず、生活=格闘ゲーム友達との交流になっている。ここだけ見ると「格ゲーがテーマの小説なのか?」と早とちりされがちだが、実際はそうではない。競技者でもプロでもない、無職のゲームプレイヤーから見た世界の解像度が、そのまま文章になっている。
本書に、マウンテンデュー(や紅茶花伝)といった特定の清涼飲料水が象徴的に出てくるのも印象に残った。ゲーセンに通っていた人間にとって、あれは単なる飲み物ではなく、半ば儀式のようなものだった。そうした狭い世界の価値観が、変に説明されることなく小説として書かれているのが、個人的には嬉しかった。
こういう文体や距離感の文章は、平成の頃ならテキストサイトやブログでよく見かけた。自分もどちらかといえば書いていた側だ。けれど近年、そうした文章はほとんど見なくなった。
しかしゲーセンや個人ブログの文化が廃れたあと、この系譜の文化が消えたわけではなく、ゲーム実況配信サイトやDiscordコミュニティに移動しただけだと思う。自分がフォローしている範囲でも、不登校や上京生活を断念して実家に戻り、ゲーム配信をしている若者は数多くいる。
この作品は、そうした現在も続いている文化の、かなり正直な位置にある文章だと感じた。派手さはないが、読後に妙な既視感だけが残り何これ? という感想だけが残った。