ネモフィラを見た

lammu
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行ったよ~

この前、ひたち海浜公園にネモフィラを見に行った。とてもフットワークが軽い友達がいて、その子が誘ってくれた。感謝。茨城は遠いので、たぶんよほどの動機がない限り自分で行こうとは思わなかっただろう。この機会がなかったら私はたぶん一生ナマでネモフィラを見ることはなかった。

ナマのネモフィラは本当にきれいだった。きれいという言葉でまとまってしまうのがもったいないけど。ミルキーな空色とまぁるい星形の花びらがキュートだった。

公園の「みはらしの丘」の一面にネモフィラが植わっているんだけど、一番感動したのは丘が見えてきた瞬間かもしれない。みはらしの丘に向かっていくと、道の向こうに丘がバーンと見えてくる。その丘が一瞬、海に見える。

目の前にデッカイ一面の水色がドーンと出てくるのだ。「あっ、これは海かな。キレイやねぇ。いやこれは違う! ネモフィラだ~~~! ウヒョ~~~!」そう思った。

それから、自分の目で見ることでひとつひとつの花には濃淡の個性があることを知った。上の写真をよく見てみると、青が濃い花と薄い花があることに気づくと思う。あと、紫っぽいのもあれば正真正銘の青っぽいのもある。シャム猫の顔の濃淡みたいでかわいいね。

人がけっこういたんだけど、丘の上に人がズラーッと並んでいるのもそれはそれで土地の規模のデカさが際立っててよかった。

感覚は実感しないと永遠にわからない

これはTwitterで流れてくる画像をほぇーと見るだけでは得られなかった発見だと思う。時間とお金をかけて自分の足で現場に行くことでこの経験を味わいつくそうと躍起になるから、じっくりと目を凝らすのかもしれない。

「花はうつくしい」という言葉を日常で聞いたとき、私は「うん、そうだね」とわりと軽めな反応になりがちだ。花はうつくしいのだと小さいころから学習してきた。それに異論がないからそれに従って反応をしているに過ぎなかった。

しかし、本当にほんものの花にご対面すると確かに「きれいだ……」と思う。「きれい」「悲しい」「幸せ」のようなきわめて主観的で感覚的なものは、言葉にまとまるとリアリティを失って共有がかなわないのかもしれない。そういうものは実感してみないと一生わからないものなのかもしれない。

がんばって外に出たい

ナマでものを体験したり見ることって大事だな、と思いました。まずは近場のカフェに自発的に行くところからはじめようと思う。

@lammu
友達に話すようなことを書く。