こういう日を月に一度は作りたいなと心から思う日だった。
午前中に映画を見て、百貨店でアイシャドウを買って、帰宅して少し家事をして、多和田葉子の「献灯使」を読んだ。
トットちゃん、映画始めにぴったりだったな。たまたまだけど午後に再読した「献灯使」も、薄く折り重なる日々の描写の先で噴き出す怒り、悲しみ、外的な要因によって変わっていかなければならないことのやるせなさ恐ろしさ、そういったところで共通する体験だったと思う。片方は戦時中の話で、片方は全てが終わった後も続く世界の話だけれど。
年末年始、本当に賑やかに過ごすことができて、その分の疲れが明らかに溜まっていたから、こうして自分のためだけに使える一日を設けられたのは本当によかった。今年は水曜日に有休をたくさんとっていこうかな。映画も安いし。
「こういう日がずっと続けばいい」という感情になると、数年前、出向先で昼休み中ずっと屋上で一人で過ごしたひと月のことを思い出す。二月で、もうあと2ヶ月したら異動だとわかっていて、三月になったらまた同僚たちと一緒に昼ごはんを食べるとわかっていた(し、そうしたいと思っていた)から、ひと月だけ、と決めて毎日お弁当を作っていた。あの年は暖冬で、二月でも晴れれば暖かかった。日中に1時間も、屋外で呼吸して、自分だけの時間が取れることが本当に心地よかった。ずっとぼんやりするのもそれはそれで焦ってしまうので、バランスが難しいけれど。
自分のガス抜きをすることで、他人の変化にも気づいていけたらいいなと思う。