一喜一憂に振り回されている。
これを書いている今は「喜」寄り。楽しみにしていた配信のお知らせが来たばかりなので。写真は土曜日に見た夜桜。
今日一日の感情の起伏が激しすぎて(半分泣きながら仕事して帰りながらさらに泣いて、でも今はケロっとしている)先週の記憶が曖昧だ。
コミュニケーションにおいて我慢なんてお互いにしないほうがいい、開示して擦り合わせてより良くしていったほうがいい、というのをずっと信じていたけれど、どうやらそうではないみたいですね。遅ればせながら最近気づき始めています。
自分の明快さを開示することそのものが暴力的なこともあるみたい。難しいし、理解し難いけれど。そうみたいです。
とにかく仕事に集中して、イライラするならお菓子でも食べて、きっと明日も大丈夫だから。涙が出ても一日は終わるから。時間が流れることは本当に救いだと思う。我慢しなきゃいけないなんて嫌すぎるけど、案外やってみたらすぐ終わるのだ。それならまあ、してもいい努力の範疇かもしれない。昔に比べたら体力がついているから。
スマホの写真を整理していたら2019年頃にどこにも出さずに書いていた短歌が40ほど出てきた。人に読んでもらってもいいかな、と思えたのはそのうち20くらい。どこかに出してもいいけど、ちょっと少なすぎる気もするので迷っている。
大好きなVTuberが素敵なcoverを出してくれたので延々とリピート再生をしている。新しい曲を教えてくれてありがとう。おかげでなんとか泳ぎ抜けていけそうな気がしています。