十代の頃、分かりやすいものに自分を寄せて、困っていないふりをすることにした。それに慣れつつも、毎回嘘をついているような感覚はあって、同時に自分がどこにもいなくなるような心地がした。
この歳になっていろんな人たちの存在を知って、自分のような人が他にもいるのだと分かって、少し息がしやすくなった。
とはいえ誰しも多かれ少なかれそういう不和を抱えていて、自分の何かが特別だとは思っていない。むしろ、これがありふれたことだと再確認するために、どこかの誰かに届けばいいと思っている。それでは、今夜のひとりごとを海に流す。
私は昔から「スカートを穿きたがらない女の子」だった。
私が幼い頃はそういった指向に対する社会の理解も浅かったので、「そんなのおかしい」と他人から言われることもあった。
七五三の着物を泣いて嫌がり、発表会のドレスも頑なに拒否していた。当時私は、自分が単に「スカートを穿きたくない」だけなのかどうか判断がついていなかった。今思えば、自分じゃない何かのふりをすることが受け入れられないだけだった。周りはそれを私がそういう装いをすることを当然のように考えているけれども、私にはそうは思えなかった。スカートはどうしたって自分が穿くものではなかったのである。「これは着たくない」と周りに訴えた時、肌に感じたのは、周りが「こだわりの強い子」として自分を受け止めた、ということだった。
私にはこだわりなんてなかった。強いていえば、自分じゃないものを自分として押しつけられることへの拒否感があっただけだった。
それを「こだわり」と周りが解釈した瞬間から、恐らく私は独りだった。そういう時に使われる「こだわり」には、「思い込み」という含意が透けて見えたからである。
そうして、ないことにされ続けるうちに、自分でも本当にあるのか分からなくなった。
時間が経って十代になって、制服を着るようになると、制服姿の自分をどこか切り離すことで、平気なふりができるようになってきた。
数えあげればきりがないほど、あらゆるところで居心地の悪さはあったけれど、それがないかのように振る舞った。
十代が終わる頃にはそれが板について、あれだけ切実だった拒否感も何もかも、すっかり麻痺してしまっていた。
けれども大人になってから、SNSの普及も手伝っていろいろな人が可視化されてきた。
私と似たような感じ方の人たちが存在すると知った。
据わりのいい場所が見つけられなかった私がないことにしたものは、確かに存在していた。
多数派ではないのかもしれないけれど、だからといってここから降りられるわけではなく、私が私として生きる限りは一生付き合わなければならない類のものである。それに正直なところ、多数派でないことが信じがたいくらいには、私にとってはこれが「普通」なので、少数派であることに引け目も感じる余地がそもそもない。
少し話は逸れるが、私には姉が一人いる。彼女は昨年子どもを産んだ。それまで外で子連れの人を見かけても、自分とまったく切り離して見ていたけれども、姉の出産を機に見る目が少し変わった。「この人たちは子どもを産んだのだ」と受け止めるようになった。とはいえ、それが意味するところを他人が推しはかることは不可能であるとも思う。
私は自分が産む体の人間であることが信じられない。もし検査をして、「あなたは産めません」と言われたら、その方が納得がいく。そのくらい自分が子どもを産むことに違和感がある。
けれども、子どもを産んだ人だっていろいろいる。子どもを産むことに女性としての存在意義を感じている人や、私と同じように、自分が産むことに違和感はあっても、パートナーの希望などで産む選択をした人だっているだろう。
そう考えると、目に見えるものだけから他人のストーリーを知ることは不可能である。 だとすれば、景色だけ見て勝手に孤独感を深めても仕方がない。
結局私は自分を女として位置づけている、ようやく据わりのいい場所を見つけたはずなのに、と思わないでもない。けれどこれは、十代のうちで「ふりをする」ことに慣れてしまった弊害のような気がしている。
とはいえこの点は考える余地のある部分で、もう少し精緻に解釈する必要があるし、そのために読んでみたい文献もある。
それはおいおい取り組むべき課題で、自分の中で整理できた内容はここに追記していく予定である。
今日のところは一旦ここまでとして、今夜の残った時間は別のことをして過ごそうと思う。