まだ続くバサラオ🌸感想妄想

lensdiary
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公開:2026/4/19

全く別作品での自分の原体験を勝手に繋げて楽しむ無理矢理感のある感想、勝手に繋げて一人興奮して暴走するオタクの雄叫びなので、何を言いたいのかますますわからない感想になってきてますが、どうか生暖かい目で流してください。

バサラオを初めて劇場で観た時、空の上から(天井から)降りてきたヒュウガと桜の花びらのような着物を着た散華の女子が歌い舞い踊るバサラの宴に庶民たちも集い、太鼓を叩き鳴らし、手を叩き、身体を動かす強烈で忘らないオープニングの躍動感に一気に惹き込まれて、あの中に入りたい!と思って心が震えた感覚と、

二幕冒頭で、二条河原でヌイとボンカンさま、カイリ、ヒュウガと歌い継ぐ”この頃都に流行るもの〜♪”の、軽快な独特のリズム、アシッドハウスのパーカッションのリズムのような、いまのライブハウスやクラブやフェスに集って踊るレイヴ、パーティー、庶民の宴、祭り、そう、祭りに集いただただ頭を空っぽにしてリズムと音の波に身体を委ねて現実の嫌なことを楽しさに変えてその周辺の空気がうねり一体化する目に見えない不思議な躍動感

ヒュウガが王となり最高潮に達したバサラの世の迫力

あの楽しさ

いつかの自分の実体験の何かと繋がってる気がすると思いながら興奮しすぎて上手く言葉にできないまま、頭の中のどこかで鳴り続けているバサラの宴、心の底から湧き上がる楽しさを思い出すのはどこから来てるんだろうとぼんやり考えてる。

いろんなアーティストのライブや歌舞伎での強烈な記憶が入り乱れて頭の中がごちゃごちゃになって興奮してるのは間違いない

その時よりも、もっと、もっと前の、私が音楽とダンスで人が集うことに問答無用にのめり込んだ記憶を思い出せ

バサラオから離れるが、今日4月18日、現地では4月17日、コーチェラフェスティバル'26でサブリナ・カーペンターのステージにスペシャルゲストでマドンナが登場してサブリナと歌って語りあう二人を見て大興奮と号泣の末に(今も再配信見ながら嬉し泣き)、

急に、そうだ小学生の時にテレビで初めてマドンナのライブを見た時の(地上波テレビで無料で放送してくれてた)、言葉にできない衝撃的で強烈な躍動感が原点となって、バサラオの強烈な美と裏切りしまくり残酷な世界の躍動感と楽しさがこれ見たかった世界!と思ったのかもと閃いた。

ヒュウガは自分の美しさでヒノモトの王、バサラの王となろうと迷うことなく、カイリと突き進んだ。

人類愛はない。

ただ生まれ持った美しい顔と魅力が村人から反感を買い殴られた理不尽さ、憤りから、自分の世を作り、世界を征服したい野望で誰にも縛られない生き方を選んだ。

残酷なのに、とても清々しく見えた。

なぜヒュウガの生き様とマドンナを妄想脳で繋げてしまったのか。

恋愛性愛至上主義じゃない私なのに、人が持つ欲望と葛藤、敢えて冒涜と批判される表現で信仰心や愛をストレートに表現するマドンナのパフォーマンスを苦手だと思ったことがない。いつだって、どんなスキャンダルや衝撃的な内容のインタビューでも、誰かに媚びるような妙にモヤモヤする言葉が全く無いからスッと頭に入ってくる。どんな個性でも表現して生きていい、言葉や民族、思想の違いを超えて歌とダンスで一つになる大切さに私は強く影響されてきたから、その影響があって、ヒュウガの強い心と人の本質を見抜く力が清々しく見えて痛快に思えたのかも。

裏切りを巧みに利用してヒュウガへの愛憎と殺意を隠し持ち躍進し続けたカイリの、人間がもつ複雑さ、欲と理性との揺れ動きは、いろんなアーティストも音で表現していることなので、これからもずっと思い出して妄想が止まらない。

あと勝手に繋げて興奮するオタク脳は、ヒュウガの衣装デザインのイメージがデヴィッド・ボウイとの制作話と、マドンナが人生が変わったのは10代の頃に見たデヴィッド・ボウイのステージだと語ったエピソードがリンクする!と考えてしまい、さらに興奮した。

今日から精神安定剤の量が増えたのに、止まらない妄想をどうやって鎮めようか。

勝手に繋げるオタク妄想脳が爆走しすぎて、何が言いたいのかわからん感想を勢いで書いてしまい大変失礼いたしました。

@lensdiary
日常で思ったこと