映画ミッシング砂田の視線

lensdiary
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映画ミッシングを見て考えたこと

砂田の心の揺れ動きが、いろんな捉え方ができて想像が止まらない。

映画に関係ないですが、一回目鑑賞の帰りに撮った富士山の写真


砂田さん。パッと見は、組織と報道倫理と沙織里への寄り添いたい気持ちとの板挟みで苦しむ姿。でも見てるうちに、やっぱり圭吾を疑ってる?、美羽ちゃんの行方や生存が厳しいと判断された場合の取材始めてる?とか、街のこどもたちの安全取材かねて犯人探ししてる?とか。歩き方や立ち居振る舞いが勢いある動き方(見る人によってはあの人ちょっとイキッてると思われそうな感じ)から、話が進むにつれてだんだん肩が落ちているようにも見えて勢いがあった存在感はどこへ…?とか、中堅ガチ報道人の鎧がちょっと崩れて中身の人間味が透けて見えるような瞬間が何回かあり、しんどい話だけど砂田の心の中の駆け引きめいた何かを確かめたい衝動も何回も見たくなってる理由のひとつ。

美羽ちゃんが行方不明になるまでは、記者としてのプライドと個人の正義感をバランスよく持った姿勢でコツコツと取材を続けてキャリアに繋がっていたが、一年が過ぎても情報もない、動きがない事件を前にして、テレビ局も会社であり個人の気持ちに寄り添うだけでは継続していけない面があることと板挟みになった。視聴率が取れる映像、スクープをつかんで東京へ栄転した後輩に刺激されて砂田さんの内にある野心も強くなった。沙織里たちの取材に"演出"をつけて、圭吾が人に言えなかったことを追求した。砂田さんはすぐに放送するのは危険だと上司に訴えたが相手にしてもらえず新事実は放送されてしまい、沙織里たちが振り回されただけで、美羽ちゃん発見につながる情報は得られなかった。警察から、人は事実をおもしろがるから世間を煽る報道をやめろと釘をさされてしまった時の、痛いところをつかれた気持ちと憤りが混じった目になったのも実直な砂田さんらしさだと思った。

海を見ている場面が2回。その視線の先に、砂田さんは何を思い浮かべていたのでしょうか?美羽ちゃん生存への祈りか、残念な結果の場合を撮る覚悟か、スクープを撮りたい欲望が強いことに気がついた戸惑いか、自分の信じていたものと現実の見方によって変わる事実から、報道とは何なのかを考え直しているのか。

事件取材から離れた二年後に、別の女の子行方不明事件のために個人で協力しようと動いた沙織里と会って、取材のやり方をどこかで間違えてしまったと頭を下げた時、その表情は記者としてではなく"人"としての本気のお詫びだった。沙織里が砂田を頼ったのは、放送してもらう手段を失わない気持ちの奥に砂田の人としての誠実さを信用していたから、演出を受け入れて頼ることができた。結果に繋がらなかったけど、砂田の誠実な姿勢に沙織里も気がつかないうちに影響されていて、別の女の子の捜査協力をしようと動いたんじゃないか。

良くも悪くも人に影響する報道になってしまったけど、個人それぞれが良い方向へ動くきっかけになる。

豊が誹謗中傷をしていた人間を特定して訴えたニュースを見ていた時の砂田さんの視線。やるせなさやいろんな感情が入り混じる視線が興味深かった。でも、優しすぎて悩んでもがく砂田さんの姿勢は何も間違ってはいない。人としての誠実さを持った記者や作家がいなくなってしまったら、記者全員が権力への忖度や視聴率やインプレッション狙いのニュースを流す世の中になったとしたら、それは視聴者も含めて全員何かに支配されてしまった世界になる。

板挟みは苦しいけど、悩み続ける砂田さんこそ人間らしく信用できる人だと思う。

@lensdiary
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