映画ミッシングを観て自分の傷に向き合う

lensdiary
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公開:2024/5/18

映画ミッシング鑑賞

胸、心の奥底の震えが止まらなかった。だけど、私は涙は出なかった。どうしてか。

石原さとみさんの憔悴と慟哭の表現は現実だった。私がこれまでに二度経験した、近い親族が数年行方不明になった時に経験した、残された私たちの慟哭そのものだった。私たちの場合は、いなくなったのは大人で本人の意志による行方不明だから、警察も受け付けてくれただけで被害報告がないと何も動けず、また報道されるほどのことでもなく、誰にも知られることもなく、数年自分たちだけで探し回り、なんの手がかりもないまま数年たって、ある日突然本人から連絡があって帰ってきた。事実として書くとそれだけのこと。私は周りの人に対して今までどおり普段の生活態度のまま行動して、でも家に入ると憔悴しきっていた。きっと、その時に涙を流しすぎて、誰かに八つ当たりしすぎて、不要な喧嘩をしすぎて、いなくなった方も残った方も、どっちも傷つきすぎて、その傷にちゃんと向き合うこともできなくなってしまった。何歳になっても感情が爆発することがあるけど、傷のかさぶたが分厚くなったのか、痛いと思う瞬間に別の方向を見る癖がついたのかもしれない。こんなことを書くと、承認欲求が~とか、話盛ってる~とか、思われてしまうけど、実際に経験したことをそのまま書いてるだけ。大人がある日突然いなくなっても、大変だった。私には子供はいないけど、もし子供がいなくなると…と想像するだけでも身体がすくんで震えてしまう。

ミッシングは渦中の夫婦やその家族、報道側、どの立場の人も重くつらい現実を生きている日々の記録だから、観ながら泣きすぎて過呼吸も起こすほどになったらどうしようと構えていたのに、"あの時の数年間"を冷静に思い出して、それぞれの立場から出る言動のリアリティさを妙な演出なしで真っ直ぐ映像に収められていることに深く感動した。映画が何か語れるほど全然わかってないけど、映画がニュース以上にいろんなことを教えてくれる素晴らしいものだと表現の力の素晴らしさを改めて実感した。

全然ストーリーは違うけど、いなくなった方を描いた流浪の月は、感情移入しすぎて観ながら過呼吸を起こしかけた。その時より傷に慣れすぎたのか、自分が傷ついてることを頭の中でもう一人の冷静な私が客観的に見てる感覚が強くなってきたのか、ミッシングは涙が出なかった。だけど、心の奥底が深く震えて、今日はもう他の映画やドラマ、音楽も触れられない。

私には何もない。何も起こらない毎日で、他の人より"人らしいライフイベントや感情の変化"は少ないと思っていたけど、私は私なりにいろんなことで深く傷ついてきたんだと改めて気がついた。傷はかさぶたで覆われて、別の明るい方向を向いていけば前に進めるけど、傷は傷のまま消えずにずっと残ってる。

つらい映画は見るとしんどい。でも、自分の傷に向き合えるきっかけになるから、やっぱり素晴らしいものだ。

ミッシングは何回も繰り返し観たい作品になった。

映画ミッシング パンフレット

@lensdiary
日常で思ったこと