プランクトンの死を顕微鏡でごらんになったことがおありだろうか。
輪郭線が徐々に薄くなっていき、やがて線の一部が消え、そこからプランクトンの体内組織が外に流れ出る。流れ出た組織は外に同化して消えていく。その間も輪郭線は薄くなっていき、やがて個体の全部が外と同化する。死は外界との同化なのである。つまり、「生きている」とは「輪郭があり、外界と同化していない」状態なのだ。物事を明文化したりカテゴライズするのは「輪郭をつける」ことに他ならない。そこに爽快感があるのは生を感じられるからではなかろうか。
是非を問わず、白黒つけず、あるものをあるがままに受け入れる時に感じる快感を伴うぼんやりした感覚は、外界との同化への憧憬?
今、特に何の感情が湧き興る事もなく、ただぼ~っと訪問リハビリの先生をお待ちしているのだが(私は絶賛同居高齢義両親在宅介護中の身)眠たいなあ、この眠たいタユタユした感じ、自分の輪郭が薄くなってる気がする・・・睡眠とは完全に輪郭が消えはしないが、輪郭が薄くなって外界と同化しそう~~~な状態なのかもしれないなあ・・・なんて思って書くしずかなインターネット。
何書いてんだろう、私。眠い。