夢を見た。
天狗と源義経で有名な鞍馬寺の、お堂に行くあの心臓破りの階段をふうふう言いながら昇っている。夢やったら、こんなん楽勝になってるもんちゃうの、ふつー!なんて思いながらヨイショオヨイショオ昇っていると、右耳の斜め上後ろから「お京が怒らんから、代わりに怒ったったわ」という声がする。私には怒られたであろう人に心当たりがあって、「やめてやめて!酷いことせんとって!」と声のほうに振り向いたのだけど、誰もいない。困っちゃったなあ、なんだろう、まあいいか。ともかくお堂に行かなくちゃ、と思ってまた階段を昇り出す・・・
実際には「怒られたであろう人に心当たり」はない。
・・・ない、と思っていたのだが・・・よくよく考えると、あるかもしれない。
COVIDが流行り出す前のこと。私が行かない曜日に来て、私の作品に自分の名札を置き、夜にまた名札を入れ替えて何事もなかったようにして帰る人がいた。そこは一般の人は入らない所だし、私の作品ということは誰もが知っているので、実害はないと判断し好きにやらせていたのだが、当時は多くの人に「なんで放っとかはるん?」「問題にしたろか?」と言われたものだった。私は「特に誰が困るわけでもないし、やらせといたげたらええ」と答えていた(後日、私のこの物言いが件の人の耳に入り「その余裕綽々な態度が腹立つねん」と言っていたと聞いた)(実際、私の作品を自分の作品ってことにしたいほど気に入ってくれたのかーとしか思わなかったのだ)
そしてCOVIDが流行しだした。
その人が罹患。ワクチンを自らの意志で射たない面々でランチ会をして、全員が感染した中の一人だった。他の人はまあまあの頃合いで復帰してきたのだけれど、その人の後遺症は重く、私が知っているのはポータブルトイレを置くようになったと聞いたところまでだ。後は辞表を出してしまわれたので、どうなったかは解らない。
当時、気にしない私に業を煮やした受付のおじいさんたちが「あのおばはんには便所のスリッパ出してるねん」・・・なんてことがあったので、この夢はソレかな~と思ったり。それにしても、なぜ今になってそんな前(COVIDが流行る前のことだ!)のことが夢に出たのだろう。そして、なぜ鞍馬寺だったのか・・・?
謎は深まるばかりだ。
この謎を解明するために我々は再びおふとんの中へ向かった。