個人的な行動記録のみ。場内の詳細なレポートはありません。
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朝からTシャツの山をひっくり返して悩んだ挙句、愛でぬりつぶせツアーのルードギャラリーTシャツを選びました。その上からシャム猫の絶叫ツアーのパーカーを羽織り、新保さんの写真展「Tenacity Blues Diary」の薄いトートバッグに大きな向日葵のブローチを付けてみました。
午前中は自宅でテレワーク。12時、即退勤。
夫の運転する車でお台場へ向かい、ダイバーシティ東京プラザの6階で昼食。
大阪から日帰りの友人と14時すぎに合流し、とりあえず様子を伺いに会場前の広場に行ってみることに。各回30分前の集合時間には既に500人くらい並んでいるように見えました。スタッフの案内が追いつかず整列があちらこちらに分散してしまっている場面もあったけど、特に大きな混乱は見えず、全員、粛々と並んでいました。
冬の東京らしい真っ青な青空というより、少しだけ白く霞みがかった空。あまり寒くは感じませんでした。
14時の回に参加した友人を迎え入れ、4名でフードコートに着席。毎時20分過ぎに入場した方が焦らなくてよさそうだということになり、15時の回の私と大阪の友人の2名は、15:20に席を立って入場整列へ向かいました。
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16:45ころ、16時の回の友人と合流。17:20すぎ、あまり乗り気ではない夫の背中を押して17時の回へ送り出しました。
17:45すぎに戻ってきた夫を迎え、事前に連絡を取ることができた友人のうち、14時〜17時の回参加の全5名の献花が終了。
さて、そろそろ解散かなと思ったそのとき。
近づいてきた黒い影。
それは、あの日以来、特にずっとずっと気になっていた、少し年下の友人の姿でした。
「久しぶり!」「何年ぶり!?」「荷物多いね、仕事帰り?」「18時の回なの?」「遅めに入場した方が焦らずゆっくり献花できるよ」「でもいっぱい曲が聴きたかったら早めに入場してもいいと思う」
長時間にわたり大勢の人が押し寄せる中、思いがけずその友人に出会えた奇跡に胸いっぱいになり、とりあえず椅子に座らせて周りを囲み、いっせいに言葉を畳み掛ける年長の5名。
すると、、、張り詰めた糸が切れたように、静かにポロポロと泣き出す友人。
「ああ、いきなりごめんね、ほんとごめんね」
『12月5日からすべてに蓋をしてきたから…本当にSNSとか何にも見てないから…』
「その蓋、無理やりこじ開けちゃったね…でも、声をかけてくれて本当に嬉しかった、ありがとね」
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この一連のやり取りをしながら、ふと、なんだかものすごく既視感があることに気づきました。あ、そうだ、お通夜の席の親戚のおじちゃんおばちゃん達だ。昨年1月29日に大好きな祖父を亡くしたとき、1日かけて電車と飛行機とバスを乗り継いで、あまりに田舎なのでその先の交通手段がなくて、最終的にはお通夜の終わった後に父親に車で迎えに来てもらってたどり着いた斎場。着くなり、すっかり出来あがった叔父さんからいきなり「おお、よう来たね。じゃ、明日、孫代表の弔辞をよろしく!」と言われて、まだおじいちゃんの顔も見てないのに…と戸惑うしかなかったあの日。その光景とすごく似ている気がしました。
似ているといえば、テーブルに座って、一人一人を決まった時間に送り出したり迎え入れたりする感覚は、まるでフェス会場の基地みたいだなと思いました。昔は年末になると、インテックス大阪で開催される「Radio Crazy」に参加して、フードコートに設置されたコタツを囲んでみんな動かなくなり、たまにお目当てのアーティストの時間にのそのそ出ていく友人を見送る、なんてことを恒例行事のようにやっていたなあと懐かしい気持ちになりました。
そしてまた、各自が戻ってくるたびに、BGMとして何の曲がかかっていたかを尋ねるのですが、ほぼ全員、必ず「すぐに曲名がわからない」曲がある(主にSNAKE ON THE BEACH)というオチまでついて、まるでツアー初日の横浜ベイホールのよう。「ちょっと昔の曲をやるよ」と言われて、ああ知ってる、聴いたことある、だけど曲名が分からない!・・・という状態で、まるでクイズのようにみんなでワイワイ言いながら紐解いたの、楽しかったよねえ、と。
ちなみに、私がすぐに分からなかった曲は【ゴースト・スウィート・ハート】でした。
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18:20ころ、件の、年長者達が無理やり蓋をこじ開けた友人を送り出すとき、「待ってるね。でもここに戻ってきたくなかったら戻ってこなくていいよ。『帰りました』って連絡だけちょうだい」と言いました。
でも、ちゃんとまた戻ってきてくれました。
それからまたしばらくの時を過ごし、大阪の友人の帰る時間が迫ったところでみんなで席を立ちました。
ちょうど1年前の2023年1月19日、Zepp Osaka Baysideでのスカパラとの対バン後に、楽しくなりすぎた私は、私の夫とその友人の中年男性ツーショット写真を撮ったのですが、また同じツーショットを撮りました。
それから6人の集合写真をそのへんの適当な場所で(会場前まで戻る気はしなかった)自撮りで撮ろうとしていたとき、通りかかった一人の女性が「撮りますよ」と声をかけてくださいました。
『みんな、さんざん泣いてきたんでしょ?あまり飲みすぎないようにね』
と爽やかに去っていったあのときの貴女、本当にありがとうございました。でも15時前から最後までずっと、私たちは完全にノン・アルコールだったんです。たこ焼きとポテトと水だけ。
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日本全国から革ジャンとドクターマーチンを全部かき集めたような会場周辺。
きちんと革ジャンと帽子でキメた男性が横を通り過ぎたとき、コンパクトな黒いレザーのバックパックに小さな花束がまっすぐ刺さっているのを見て、とてもいいなあと思いました。
電子チケットや公式サイトの細かい注意事項をよく読めば自分で花を用意する必要がないことは分かるはずなんだけど、でもそんなところまで気が回るほどの余裕なんてどこにも残ってない、普通の精神状態ではない、それはみんな同じでお互い様。ちょっと出っぱったり引っ込んだり足りないものだらけの不良品の私たちが集まるのだから。
きっと彼は、自宅か職場からお台場までの経路にあるお花屋さんを探して、どの花がいいか真剣に悩んで買って持ってきたのだから。結局はそれをそのまま持ち帰ることになるとしても、彼の家にはその花が飾られることになるのだから。花を選ぶこと、手紙に文字を書こうとすること、それは誰からも責められるようなことではないのだから。
私たちがずっとフードコートにいたのも最初から決めていたわけでなく、混んできたらすぐに場所を変えるつもりだったけれど、きっと件の友人の『蓋』を開けるためにそこで待て、という誰かからの合図があったんだなと思うことにしました。
もし怒られるなら、喜んで怒られます。ごめんなさい。そう思うくらい、あの時にあの場所でばったりと友人に出会うことは、私たちにとってとても重要なことでした。
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この会は事前チケット申込み制でしたが、それぞれに仕事や家庭、体調、天災等の事情があり、また関東圏以外に住んでいたりして、最初から申込みを諦めた友人やフォロワさん達を知っています。
そもそも、この会への参加自体を躊躇した方も多かったと思います。私も、夫と一緒ならと思って申し込みしましたが、もし一人だったとしたら申し込まなかったかもしれません。
そんな中でのチケット当落発表時のSNSは、The Birthdayファンの落選したという悲痛な声に溢れていて、見るだけでとても胸が痛みました。おかげで、気になる友人の顔があれこれ思い浮かんでも、「行くかどうか」を確認することすらできなくなりました(これもまた、お互い様かもしれませんが・・・)。
そのときの正直な気持ちを吐露すれば、The Birthdayのメルマガ登録者限定でチケット先行をやって欲しかったし、特に、去年のクアトロツアーのチケットを泣く泣く払い戻さなくてはならなかったファンが(希望すれば)ちゃんと参加できるようにしてほしかったです。
でも。
The Birthdayのファンの「好き」と、みんなの「好き」と、両者の「好き」という気持ちに優劣があるはずなんかない。
少なくとも私にはそれを判断する資格がない。
だから私は、せめて、参加できなかったひとや、一人で参加して耐え抜いたひとに今後お会いすることがあったら、一緒に気持ちを吐き出せるようになりたいと、そっと願っています。
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この会からもう1週間経ってしまった月命日によせて。
ストレイテナーの2024年ツアー初日の前夜。