なんだか自分の心がつまらなくなっていることに気づいた。そんなのいつものことだけど、今回のは「見ていて楽しい情報のはずなのに心が薄暗くなっていく」というものだ。初めて向き合う感情なので、うまく言えていない気がするがこのまま進める。
どういうわけか、Xのオススメに本の情報が流れてくるようになった。主に読書家のもので、その日買った本や読み終わった本などの感想などが次々と写真付きで表示される。Threadsもこんな感じではあるけど、次第に家庭の愚痴みたいなものばかりになってしまう。絶対的情報量はまだまだXの方が上なのだろう。
なのでXのオススメを眺めるのが、前より楽しくなった。この本面白そうだな、と目をつけたり、みんなこの本読んでるな…と勉強になったり。積ん読より買った本を見る方が楽しいのはなぜだろう。ちょっと前までずっと積ん読について考えていたことがあるのだけど、買ったばかりの本は生きていてツヤツヤで、積ん読は死のにおいがする、と今思った。
こうして本の情報に触れていると、自然と自分のお店の方に意識が向いてしまう。次に仕入れる本はどうしようか。取次のサイトで在庫検索するも、ない。別の取次はその出版社の扱い自体がない。どうしても欲しい本があるときはそれを中心に発注をかけるのだけど、今どうしても欲しい本がない状態だ。どうしてだろう。こんなに情報を浴びているのに。
新刊本をたくさん仕入れている独立系書店。だいたい東京だ。独立系書店には2種類ある。都会か、それ以外かだ。うちはそれ以外だ。月に3万も仕入れない本屋に利益は出るのか?出るはずがない。
独立系書店は仕入れを買切でやっているところが多い。旬の本を仕入れるのが怖くないのだろうか?私は怖い。話題性のあるものはもちろん、特に季節モノは慎重になる。それらを並べられるシーズンは華やかになるけど、その時以外はその本はどこに置く?棚の片隅に置くしかない。なんだかその本の存在が寂しい。
私に取って長い間置いている本は、積ん読と同じだ。死んでいるのだ。ただ、選ぶのはお客さまだから商品として大事に取り扱っているけれど。主観では、店主じゃない「私」から見れば死んでいるのだ。これは違う。公私の区別が付いていない考えだ。やめたい。やめられるだろうか。この気持ちにも向き合いたい。
最近のモヤモヤの書き散らしになってきまった。これは整理できないのでこのままにしておく。
つまり今の自分のは「明るい情報ばかり浴び続けていて、自分の影がだんだん濃くなっている」状態なのだろう。いろんな素敵なお店がある中で、自分のお店、やってる意味あるのかなって思えてくる。思考がここまで来ると自暴自棄になってしまうし、何度もぶつかっている壁だ。今回は間隔があった気がするが、またぶつかってしまった。
千葉でやってたときはこんなこと思ってたのかな。やめたいと思うことはあったと思うけど「自分がお店やってる意味あるのかな」はなかった気がする。つまり今の店づくりが満足できていない…?どうすればいいだろう。前のお店ではレイアウトをちょくちょく変えていたけど、今は全然変えていない。何も思いつかない。動かすものがない。アイディアが浮かばない。
月に1回は仕入れをしたいのに、今月まだ目処が立っていない。書き散らしの中に書いたように、欲しい本が手に入らないからだ。じゃあ他に欲しい本を探すべきだ。それが私のやるべきことなんじゃないか。