妊娠中に避けていた動きを、未だに無意識に避けていることがある。しゃがんだり、前かがみになったりとおなかに圧がかかる行動だ。昨晩、どうしても前かがみになりたい状況になったがやはり無意識にセーブしてしまいつつ「そうだ、もういいんだ」と気づき、ゆっくり前かがみになった。
不思議だ。「できなかったこと」が自然とできている。でもこれは「ずっと自然にできていたこと」なのだ。そこで妊娠中のことを思い出してみるのだけど、それはすでにぼんやりとした記憶になっていた。妊娠中は、つらいときや行動に制限がかかったときなど「今は人生で特異な時期だ」と自分に言い聞かせてきた。おなかの中で育てていた期間は長く、でもそれは人生のほんの一部なのだ。自分がおなかを大きくしていたなんて、そんなことある?なんだか信じられない。閉店したときに店内とともに自分の写真を撮ってもらったので見返してみると、ゆったりしたワンピースを着ているからか、驚くほどおなかが出ているという風ではない。でもちょっと顔が丸いや。
目の前の娘とおなかの傷が、自分が妊娠・出産したのだという事実を教えてくれる。娘の目玉をのぞき込み、白くつるっとした、でも繊細なパーツをしげしげと眺めながら「これ、私がつくったんだな」と思い信じられない気持ちになる。つくったというと少し語弊がある気がするが、私のおなかの中で形成されたものだという意味合いということで。今日で生後43日、まだまだ何もかもが不思議で信じられない。
一方で、そろそろ乳を求めて起きるかもという時間にしんどい気持ちになり「こんな日はいつまで続くのだろう」と思ってしまった。1日に何度も授乳、それなりに時間がかかるうえに繰り返し。途方もない感覚になった。それでも「母乳あげてる最中はそんなこと忘れるんだろうな、かわいいもんな」というのも分かっており、見事に忘れて授乳していた。離乳食が始まるのは5ヶ月以降らしく、それまでは母乳かミルクのみなのだけど、5ヶ月って妊娠期間よりも短い。でも離乳食もめっちゃ大変らしいね…そしてそのうち夫の育休が終わってしまうのが気がかりで、1人でやっていくことに不安がある。まだ悪露が続いているのでなるべく横になるようにはしているが、うまく立ち回れるようになるのだろうか。眠れる時間が少ないからか、まだ1ヶ月ちょっとしか経っていないというのも信じられない。この時間感覚の長さが妊娠期間の思い出を朧気にしているところはあると思う。
授乳中に娘の頭をなでながら「どんな子に育つのだろう」と思うことがよくある。自分の41年、とても長くいろんなことがあった。今はとても幸せだが、つらいことが多かった。まったくつらいことを回避する人生なんて無理なことだが、できるだけそんな目に遭わせたくない。今朝は東北で大きめの地震があり、自分が生きている間にも日本の各地で様々な災害があったなと心を震わせ、この子が災害に見舞われないことを強く願った。ニュースなどで見る、事件や事故などで子に何かあったときに親が「身代わりになりたかった」と言う人たちの気持ち、今ならすごく分かる。
…娘が生まれたらすごく過保護になるんだろうなと思っていたけど今まさにそうだな。生まれたばかりってみんなそう?だと思いたい。成長して自我を持ち始めたら、彼女の気持ちは尊重したいと思っているが、一方で「こうなってほしい」「こうなってほしくない」という思いも存在し、矛盾している。「いっしょにゲームしたいな」「ギャルになったらどうしよう。…いや全然いいんだけど」みたいな話をよく夫としている。元気で変な犯罪に巻き込まれなければそれでいいよ、うん。