今日から妊娠16週、安定期というものに突入した。長かったように思う。妊娠100日目に入ったときにも書いたけど、すでに色々あったものな。安定というのは胎盤が出来上がって流産のリスクがグッと低くなるということで、何が起こるか分からないというのは相変わらずらしい。引き続き、のんびり暮らす予定だ。
正直、ここまで順調なことに戸惑っている。世の中にはたくさん不妊治療をしている人がいるのに自分は40歳という年齢にも関わらず自然妊娠して、流産を経験したことがなく、つわりも他の人ほどひどくなくて(多少はつらかったけど)出生前診断も陰性で。順調だと逆に不安になる性格なのだ。いやでも子宮の環境を整えるために筋腫を切除する手術をしているし、妊娠後もすでに3週間入院しているわけだし何もなかったわけじゃないぞ!と自分を落ち着かせている。
今だから言えるけど、妊娠が分かったときは嬉しさと戸惑いが混合していた。この年齢で不妊治療をせず自然に任せようというスタンスだったのも、子どもを持つにおいて自分の生活がガラッと変わることや正常な子どもを産むこと、子育てのことなど色々不安があったからだ。できたらできた、できなかったらそれで、妊活はゆるくやろうという方針は夫と一致した。なので、分かったときに自分のなかに嬉しさが芽生えたことですら戸惑ったくらい戸惑っていた。何ならダメになる確率の方が高いだろうから期待しないでおこうという気持ちが大きかった。
「入院しましょう。今から」
「今から」
「おなかの子を、守り…?」
「たいです…」
10月3日、出血が5日間続いて診察を受け、その場で入院が決まったときのことだ。医者の「守り…?」という問いに「たいです!」ではなく「たいです…」と返事しているのだけど、正直そんなに…という気持ちだったのだ。「たいです」と言えたのは、ここはそう答えるべきだと思って発した表向きの言葉だ。妊娠が分かって10日後のことだった。このときに流産の可能性3割と言われていた。ダメかもしれないのに入院かぁ…という気持ちがあった。
昨晩ふと気づいたのが、私には覚悟がなかったのだということだ。子どもがいる感覚がないってずっと思っていて、つわりが来てもまだそれはぼんやりとしていて。それって子どもを産む覚悟というのができていないんじゃないか?って自分に問うた。そうだ。さすがにそれは良くないな、と気持ちを引き締めたのだった。
10月21日、まだ入院中。覚悟がなかったと自覚しただけで、覚悟ができたわけではない。今私が探っているのは、いつ妊娠を、子を受け入れたのだろうということだ。
11月8日の出生前診断。陽性だったら堕ろすというのは前々から決めていたが、これを受けるときには「そうなったら自分はとてもつらいんだろうな、堕ろしてしばらく泣いて過ごすんだろうな」という気持ちがあったのは覚えている。
つまり21日から8日までの間に、私はおなかの子を受け入れていたということになる。どうしてだろう。少なくとも「覚悟できたぞ!」という瞬間は訪れていない。おそらくだが、退院して夫と過ごす時間がそうさせてくれたのだろう。彼も何かしら不安や葛藤があったかもしれないが、妊娠が分かったときからとにかく喜んでくれていた。退院してから子どもについて話す機会が増えて、名前どうしようか、とか男の子だったらこうしたい、女の子だったらこうしたいとか、とにかくいろんなことを話した。まだ無事に産まれてくるかも分からないのにと思いつつも、こういった話をしている時間は幸せだった。二人で育てるんだという安心感が、自然に私の気持ちを変えてくれたのかもしれない。
ここまで来たら残りの不安材料が「無事に産めるか(切迫早産などにならないか)」、「健康な子を産めるか」なのだが、今が安定しているせいか不安感に苛まれて精神が落ち込むというようなことはない。何かあったら一気に崩れるのだろうけど。再び入院することは避けたい〜!と思いながら日々を過ごしている。いろいろ無事でいられますように。