本を読んでいると、自分にスッと入ってくるような文章だったり、素敵な言葉が散りばめられていて、いつまでもここに居たい感覚になることがある。
後者は特に寺山修司や長野まゆみを読んでいると起こる。
自分が特に意識せず文章を書き始めるとふざけたことばかり書き始めるし、何か素敵なことを書きたいなと思ってはみるものの、そっちの意図で筆を握ったことはない。
絵を描こう描こうと思ってなかなか紙を広げないのと同じだ。
できていないことはこれ以上書けないので、二人の作家について思うことを書いてみる。
寺山修司は天才だ。いつ、どの詩を読んでも斬新だし、エッセイも独特な雰囲気がある。
何だろうあの言葉の使い方は。寺山修司がよく使う言葉を並べ挙げてみてつなぎ合わせてみればそれっぽくなるだろうか。ならない。
並びが秀逸なのだきっと。あと、「この人は寺山修司に影響を受けているな」と思う作家を見たことがない。いるのかもしれないし、好きなんだろうなという雰囲気も分かるけど、影響を受けて言葉を並べている人、つまりハッとさせてくれる人を見たことがない。
そのような作家さんがいたら教えて欲しい。
長野まゆみは主に文芸で、作者が好きな言葉や文体というのは分かりやすい。
長野まゆみが影響を受けた作家や、影響を受けている文章を書く人も多く見られる。
つまり、なるなら長野まゆみになればいい。
すごく投げやりなことを書いた気がする。
長野まゆみの少年性は好きだけど私は少女性も好きだし、この二つを持ち合わせている人…桜庭一樹かな…
桜庭一樹もよく読むけど、文章に憧れたことはない。
別に作家になるわけじゃないから今まで通り適当に書けばいいのかもしれないが、私はもう日記をつけていないので、『書く=人に見せる』ことがほとんどだ。
ある程度人に見せられる文章を書きたい。でも自分ではそれがどの程度なのか分からない。難しい。
だからここを、しずかなインターネットを使う。