
いつもの喫茶店、普段より少し混んでいたからか見たことがないコーヒーカップで出てきた。あと、初めて注文するチーズケーキ(温)。フレークを散らしてあるのが意味が分からなくて最高。
11月15日に記事を書きたいと前々から思っていたのに、その日前後は珍しくバタバタしていて失念していた。
サービス自体はいつから開始したのか調べてみると、自分が記事を書き始めた日と同じだったようだ。
流行りに乗った感はあるけれど、それで1年続けられたのはすごいなと自分では思っている。文章を書くクセをつけたり、練習をしたいなとずっと思っていたし、でもnoteだときっちり記事を書かなければいけないというイメージがあったので適当に書き散らせるサービスがあればいいのにとずっと思っていたのだ。
この1年、少しは成長できているのだろうか。最初は書いたものを見直さずに勢いだけで投稿していた。見直すと、延々と直すクセがあるからだ。しかししばらくして、読んでくれる方が分かりにくい文章を放流するのはよろしくないな、と思い始めて軽く見直すようになった。夫に「妻さん何書いてるか分からない」と言われたのがきっかけだ。
見直すと、主語や目的語が結構抜けていることがあるのでそこを重点的に直している。あと、ほぼスマホで打っているので変換違いや余計な文字が残っていることが多いのためそこも直していく。二重表現や要らないと思った文章をゴソっと消すこともある。それでもたまに、夫が「誤字あったよ」と教えてくれることがある。
さて、成長できているのかの話になるが、自分自身は中身は何も変わっていないと思うのだけど、夫がちょくちょく「妻さんがしずかなインターネットを始めてよかったよ」と言っている。夫に対する依存度が減ったらしい。私としてはそこは全然変わっていないように感じるのだが…平日の朝、送り出すときに「今日も無事に帰ってきてくれますように」と強く願うし、夫が死んだらどうしよう、自分も死ぬしかないといつも思っているし。
私が毎日何かに集中できることができたのが良い、と思っていてくれているのかもしれない。ゲームもお絵かきも読書も、やるときはやるけどやらないときは全然できないから、水戸に来てからずっと時間を持て余していたのだ。それは未だに変わりないから個人的には成長していないかなと思う。でも日々しんどくて横になっている時間があって、そのときにしずかなインターネットを書くことが多いので気を紛らわせるには大変役立っている。
私はすごく忘れっぽいので、日々の記録として役立っているのが大変ありがたい。「○○したのいつだっけ?」と思ったときに検索すればすぐに日にちが分かる。だから「これは記録しておかなきゃ」と思ったできごとは、読み手からはつまらないかもなと思いつつも書いて公開する。本当に表に出してはいけないような出来事だったり(でも夫には話せるようなこと)とっ散らかったままの文章は公開していないけれど、大した数はない。ネガティブな内容を非公開にすると、公開する投稿が激減するだろう。あまりポジティブな人間だと思われたくないのかもしれない。これは育ちの問題だな、治らないな…
読まれた記事数や滞在時間というものが日々更新されるけれど意識していたのは最初だけで、今は毎日どのくらい数字が増えているのか分からないので気にしなくなった。見てくれている方は、おそらくサービス開始より激減しているだろう。それでも、マストドンやBlueskyで反応があったり、たまにレターをもらえたりするので読んでくださる方がいるのだなと実感できる。自分のために書いているのもあるけど、やはり読み手がいるという事実はモチベーションになっている。
あわよくば記事の中から選んで編集してささやかな本を出せればな、と初期からいままでほんのり思っているのだけど、どの記事をまとめればいいかとかが自分ではさっぱり分からない。
このサービスを始める前に、『本屋のコピー本』というのを6冊だか10冊だか作って持っていったら売り切れた。通販にもしばらく載せていて、少し売れたのだけど製本が面倒でやめてしまった。何かこう…いろいろ上手くやる方法はないだろうか。
そんなこんなで、1年間お付き合いいただきありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。