
千葉時代につくったチラシの上部だ。水戸に来てからもデザインは使いまわしている。下部にはイラストとともに電話番号等も書いてあるので、写真は上だけ。夫はこれを『ポエム』と呼んでいる。
先日の古本市で「このチラシに共感した。本を引き取ってもらいたい」とおっしゃる方が現れた。年配の男性だ。出張買取を申し出ると、お金は要らない、宅配で少しずつ送るということだった。
夫「あのポエムに共感する人いるんだ…」
失礼だな。
私はポエムというとフワフワしているイメージがあるのだけど、これは全くそんな気分で書いたものではない。個人で本屋をやっていると、本の虫と勘違いされる。好きではあるが、熱心な読書家ではない。それがだんだんモヤモヤした気持ちになり溜まっていった。
前のお店は路面に面していたので、いろんなお客さんがフラっと現れた。「自分の方がたくさん本を持っている」と自慢だけして商品すら見ずに帰っていく老人がいた。
うるせーーー!!!
しらね~~~!!!
FINAL FANTASY
このネットミームが頭をよぎった。
そしてポエムを書き殴ったのである。
これがうちのモットーだ。常に本を読むのが偉いのではない。困ったとき、迷ったときに本を開くことができればいいのだ。
実家には本がたくさんあった。といっても、家族が本を読んでいるのはほとんど見たことがない。父親くらいか。しかし本棚には内田康夫という推理小説作家の本しかなかった。日本津々浦々、どこでも舞台にしているので読むと旅をしている気分になれると言っていた。自分もそこから2冊ほど読んだことがあるが、とても全部読もうとは思わなかった。
応接室のガラス棚には、祖父が揃えた分厚い百科事典がずらりと並んでいた。圧巻だった。幼い私はそれを下から眺めていた。重々しく、なんだか手に取ってはいけない雰囲気が出ていた。しかしこれは飾りで、市内の大手本屋に買わされたものだと後に誰かから聞いた。ちなみにこの本屋にパソコンも買わされている。そのおかげで、当時の子どもにしてはインターネットに触れるのが早かったのだけど。
なので、本に対しては『憧れ』があったというのが大きい。自分が読める絵本は何回も読んだし、ラノベを読むようになり、次第に他の本も手に取るようになったが、それよりも、手が届きそうで届かなかったあの百科事典が私の心にずっと在るのだ。
昨日、ポエムに共感してくれた男性から荷物が届いた。段ボールにみっちり本が詰まっていた。ジャンルは個人的には興味がないという分野ではないが、うちのお店で販売するには難しいものばかりだった。さて、どう扱おう。それを考えるのも、本屋の醍醐味である。
「来月も送ります」というメッセージが届く。
さて、どう扱おう。