頭の中をぐるぐるしている言葉

licotta
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家にいる生活をしていると、無意識のうちに同じことばかりが頭の中をぐるぐるしてしまう。黙っていれば、何をしていてもだ。それはつらい過去だったり、強い言葉だったりする。

もう12月だ。子宮筋腫の手術をしてからそろそろ半年になる。半年というのは手術をしてから子宮を休ませる期間で、その間は妊娠してはいけないということだった。産婦人科の先生に「12月の生理が終わったら来てください」と言われている。今日は生理2日目だ。来週通院があるので、はしごできる。通院感覚が短くなって嫌だとぼやいたが、はからずもちょうどいいタイミングとなる。

先生は体外受精を推奨してきたが、私たちは自然に任せようという話になった。それをどううまく先生に伝えるか、ずっと悩んでいる。先生は私の年齢のことを慮って手術を急いだ。いまさらのんびりなんてしていられますか、と言われるかもしれない。


最初に書いた、強い言葉に話を戻す。頭の中をぐるぐるしていたのは『選択的子なし』という言葉だ。Threadsでとある本屋さんがタグ付きで使用していた。最初はそれほど気に留めなかったのだけど、これについて「ZINE作ります!拡散希望です!」とあって、強い思想を感じて怖くなってしまった。独立系書店をやっている人は思想が強い人が多い気がしてこわい。自分と切り離して考えればいいのだけど、無意識に頭の中をぐるぐるしてしまうので「切り離さなきゃ」と気づいて意識しないとできない。

子どもを作るか作らないか選択すること。それができればどんなによかったか。結婚してももし千葉に残っていたら、子どもを作ろうなんて思わなかったかもと思うことがあるが、単に「夫の子がほしい」という、本能的な願望な気もするので住んでいる場所は関係ないのかもしれない。

それでも、『選択的』に子どもをつくらないとはっきり主張できるのは都会ならではだと思うのだ。それを羨んでいるのかもしれない。私が妊活をするのも、迷いがあるのもどこかで「もう諦めてもいいんだよ」って誰かに言ってほしいからかもしれない。人生をがんばれていないから、何かを成すよう努力するフリをしていて、「努力したけど駄目だった」という結果が欲しいのかもしれない。


ちょっと寝て昼ごはん食べたらどうでもよくなってしまった。少なくとも、言葉の方は。

夫と一緒に産婦人科に行けないのは良くないな。コロナの関係からか、病院が同伴を禁止している。入院中の見舞いも禁止だった。私は先生に夫とも話をしてもらいたい。私一人ではどうにも受け止めきれないことがたくさんだ。

手術の傷痕は、ここ2ヶ月アトファインという市販薬を塗っているけど薄まる気配はない。