自分のなかに世界があること

ねむれない
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⚠️この話は感覚的なものです。

理論に基づいていません。裏取りもしていないので、整合性もありません。

OMORIの実況を見ていたら、サニーが自分のなかにあれだけ深い自分の世界があるのがとてつもなくうらやましくなった。

自分のこころの中の空間を認知することが出来たのは、高校3年生の冬のときのあの一回しかない。自分が自分のこころの部屋の中にいるような感覚を体験したのはあれきり

あの感覚を反芻しようとしてもあの時の感覚が帰ってくることは今まで一度もなかったし、これからもないような気がする。小さい使われてない職員室の中で、自分と幼なじみと先生との3人がいていままでにないぐらいリラックスが出来ていたから掴めた感覚なんだろうと思う。

自分のなかにある自分の世界と感覚の話

自分のこころ内側にいる感覚を掴むことはできないけれど、あの日から自分のこころを上から観察することができるようになった。ついでに自分の中身が漏れ出していく感覚も

こころの中の空間には自分に近しい人しかいない。家族とか、友だちとか、恋人とか。その空間には、1人ずつに各部屋があって、そこに引き出しが置いてある。そこには、自分が感じた相手への印象や、自分が感じた相手の性格とかの部屋の主に対する情報が詰まっている。

今まで見たことのない一面があったら、引き出しの中に情報が足されてく。そして、都度この人は自分の価値観に合う人なんだろうかという吟味が始まる。

価値観に合う人だったら今までと変わらない好感度で、合わないと好感度がちょっと下がる。相手への理想像がなく、都度情報が更新されていくだけだから、理想と現実とのギャップが生まれて苦しむことはあまりない気がする。

自分の中身が漏れ出していくのは、自分と外の世界の境界が曖昧になってしまって、人格が自分の収まるべき肉体を感知できなくなるからだと思う。

中身が漏れ出し始めると、自分の体から、自分の中身が漏れ出して溶けて消えてしまう感覚になる。そして、自分の中にいるのかいないのかわからない別人格のようなものたちが存在を確立しようとしてくる。

自分の中身が漏れ出すのは、過去に2回しか経験がないけれど、自分が自分じゃなくなってしまう感覚は怖い。いままでの人生で積み上げて構築された、「私」がふっとどこかに消えてしまうようなあの感じ。

いるのかいないのかわからない別人格のようなものたちと表記したけれど、過去に自分の中に自分とは違う存在がいた気がするのは、過去に一回だけある。

Twitterのフォロワーたちと勢いで作った、当時流行していたゲームの設定でつくったオリジナルの子。

ある日、ベッドで寝転んでいたら、ふと「いま、自分の中にあの時作った子がいるんだな」と確信した時があった。表に出てくることもなかったし、会話もしたことも無いけれど、自分の中にいるのだけはわかっていたような気がする。その感覚は数日だけ続いて、気づいたらいるような感じはしなくなっていた。

最近は体と心が合致している時間がかなり多くなって、こうやって自分の中身を捉えることが少なくなっていた。

健全なことなんだけれど、いままではいつでも自分の中に潜って自己探索をよくしていたから悲しさも感じていた。こうやって自分の中に入って自己探索できたのはすごくうれしくて、久しぶりの感覚だった。