エモいについてかんがえる
かつてクラスメイトとはなしたときに「エモい」って結局なんだろうねという話題になったことがある。
その時の私たちは中学生だったから結局その話題のしっくりくる答えは出てくることはなかった。
今現在、「エモい」の意味を考えたとき、あったかもしれない記憶の1つがエモいという単語の意味になるのではないかという結論に至った。これは、私が社会経験があまりにも少なく未熟だからこそ出た答えで、ほかの人が考えるとまた別の意味が出てくると思う。
わたしには、純喫茶でメロンソーダを飲んだことも、友達と海で花火をしたことも、夜の公園で遊んだ記憶もない。だからこそ、一般的にエモいといわれるシチュエーションは私には無くて、もしかしたらあったかもしれない記憶の1つがエモいという感情につながっているのだと思う。
更新頻度が高すぎて申し訳ない話
大学の勉強が落ち着いてしまい、自分の思考に浸る時間が多くなってしまった。いままでは勉強に忙しくゆっくり自分の頭の中に入る時間がなかった。反動で物事にふける時間がめちゃくちゃにふえてしまった。浸った結果のアウトプットにここを使っているから、しばらくは更新頻度が高くなるかもしれない。
読んでいるひとがいたら、読んだり読まなかったりしてほしい。
感想レターがとどいていた話
昨日、感想レターが2通もとどいていた。届いているという事実がまずうれしい。私の文章を読んでくれているひとがいるんだなって実感することができる。匿名のレターだったから反応することができないのは申し訳ないけれど、ちゃんと全部読みました。
あまり気負わずに、Twitterで自分のフォロワーにリプライを送るぐらい気軽に送ってくれるとうれしいです。
レターをくださった方ありがとうございました。
インターネットに疲れたはなし
ゲームするのも、YouTubeで動画をみるのもあたまが疲れてしまってできない日がある。そういうときは、本を読む。YouTubeでBGMをかけながら。一文で矛盾してしまったけど画面は見ていないから許してほしい。
電子書籍じゃなくて紙の本をよむ。紙の本がすき。電子書籍も悪くないしたまに読むけど、やっぱり紙の本のほうがすき。表紙の質感を楽しんだり、紙のにおいをかいでみたりいろいろな楽しみ方がある。
紙の本はなんだか、本を読んでいる感覚がある気がする。電子書籍も本を読んでいるけれど。通知が来たりInstagramとかTwitterとか見たくなっちゃう。結局、インターネットという騒がしい世界から離脱して、本の世界に集中できるから好きなんだとおもう。
批判されたくないから何回でもいうけれど電子書籍も使うし便利だと思っている。
いよいよ疲れすぎて頭が回らなくなってきたので、読書を再開しようとおもう。