1月初週の週末に必ず食べる、フランスの伝統菓子ガレット・デ・ロワ。2024年は友人Mとともにわが家で食べた。
この晩のメニューは、アペロでイタリア直産のスモークチーズとビスケット、前菜はポーチドエッグとベーコンのサラダ、メインは牛肉のワイン煮込み・ブフ・ブルギニョンとじゃがいものピュレ、デザートはガレット・デ・ロワ。泡とボルドーワインも開けた。相変わらず夫シェフの料理は最高に美味しい。
新年明けて初めて会うので、キャッチアップに余念がない私たち。一時期プロジェクトで毎週会っていたから会話が尽きない。年末年始のフランス人パーティーで垣間見えたフランス人らしさの是非(子連れ家族が別荘に集まりベビーシッターに預けて大人だけで宴を楽しむ、生後3週間の赤ちゃん連れも)、年末になると無性に和食が食べたくなること、サリー・ルーニーの小説に出てくる人間や世界が闇だけどリアルで最高なことなど。
「パートナーを家族に紹介できるか」についてもたくさん話した。彼女いわく家族内でのキャラが子どもの時から決まっていて、そのキャラに外れた行動や言動が家族内ではなかなか取れない。だから、悩みごとや困ったことも家族には話せないし、パートナーがいたことすら話していない、ましてやパートナーを紹介するなんてもってのほかだと。だから家族の中ではパートナーがこれまでいなかったことになっているとか......学歴あり職を持ち海外で生き抜く明るい性格の30代女性の人生経験としてパートナーがいない可能性は限りなく低いと思うのだけど、家族は疑いもしないのかしら。それとも建前で家族のルールに沿ってみんな知らないふりをしているのか。
「家族内でのキャラを演じる」という概念は私の中にはなかったので驚いた。だけど夫も家族内で何かしらのキャラを持っているようで、兄弟・姉妹がいると案外当たり前の概念なのかもしれない。平野啓一郎さんの分人主義を思い出した。分人主義は、パートナーに見せる顔と両親に見せる顔、仕事場で同僚に見せる顔、友人に見せる顔がそれぞれ違うように、誰にでも「複数の顔=人格があり、それをひっくるめて本当の人格」と捉える考え方のこと。
側から見て良い関係を築いているように見えていても、大切なことを話せていなかったり、言いたいことを言えなかったりする人たちがいる一方で、いつも口論して仲悪そうに見えてもオープンにお互い言いたいことを言い合った上でともに生活している人たちもいる。私たちは親にどこまで影響を受けていて、その影響がどこまで子どもたちに引き継がれていくのか。参考にするのか、反面教師にするのか。人間は複雑だなぁとガレットをほおぼりながら感じた夜。