NYから一時帰国中の友人Vと朝ごはん。パリの冬で青空が見えるのは珍しい。嬉しくなって、歩いてマレ地区まで行くことに。太陽を浴びながらの散歩は清々しく、貴重な太陽を愛おしむように一歩一歩を踏みしめた。
MAISON PRISSONでクロワッサン、パンオショコラ、オレンジジュースと紅茶を頼む。Vに会うのは3ヶ月ぶり。今回はクリスマス休暇での一時帰国だが、仕事が忙しいようで新年早々NY時間で働いている。
キャッチアップではいろんな話をした。お互いや家族の近況、お互い祖父母の命日に立ち会えなかったこと(しかも命日が同じ日だった)、今後どこに住むか、仕事はどうするかなど。Vは私が東京からパリに移住したのとほぼ同タイミングでパリからNYに移住してるので、"異邦人として海外に住む"共通の立場で話せてわかりあえることも多い。特に「今後もパリ/NYに住むの?」は毎回会うたびに聞いている。
「パリにいるのは疲れる」——いつもの質問の際に、ふともらした一言。彼女も今回の一時帰国で思うところがあったらしい。「Social normが強すぎる。カップルもしくは夫婦と子どもがいて、この時期には必ずXXをして、この地区に住んで、このトレンディなレストランで食事をして...ってみんな決まって同じことをして満足してる。ある文脈でこの言葉を使わないといけない(本当のフランス人とは認められない)、みたいなこともある。イベントはカップルや子連れ前提だし、年齢のことを言われたりして疲れる」と。
彼女いわくNYは「どう生きるかについて他人に構わないし、少なくとも受け入れる土壌がある。たまに行き過ぎてると思うときもあるけど」そうで、今の彼女にはNYが水にあっているようだ。
彼女の抱えている思いはわかるが、私はパリに対してそこまで強く思うわけではなかった。生まれ・育ちがパリでいま海外に住むVと、外国人としてパリに住んでいる私では立場が違うから。彼女の言う「パリ」は結局じぶんの周りの家族・友人・同僚などの環境を指しているので、そう思うのだろう。でもたぶん、私も東京にずっと住んでたら同じことを思うのかもしれない。
パリジェンヌとして生きること——Vはパリ出身女性として、私はパリに住む女性として。お互い、じぶんの国を離れて5年になる。新しい土地にも慣れてきて生活・価値観が変化するなかで、どちらの国(都市)とも完全にわかりあえない感覚、少しずつ距離を感じる友達のこと、言葉にはしてないけど私たちはきっと同じような思いを持って生きていくんだろう。
青空のもとで輝くヴォージュ広場はとにかく美しかった。