毎日ほんのりと『終わりたいなぁ』という気持ちがあります。いつ頃からだったかなぁ。ネガティブなキャラクターを見て自分の抱えるもやもやがやっと形になったときから?学校に行けなくなっちゃってから?神のみぞ知るですね。
終わりたいときって常に、最悪の走馬灯みたいなのが見えます。自分がやらかしちゃったなと思う過去のこと、よく考えたらされて嫌だったこと。そういうのを頭から追い出すには大声しかないと思っているため、部屋に勢いよく駆け込んで大声デトックスをしています。
終わりたいときにこんな走馬灯が流れるんですから、ほんとうに終わるときもやな走馬灯が見えてしまうのかな。ちょっと嫌かもしれないです。あの時乗ったメリーゴーランドとかおいしいソフトクリームのことだけ映してくれたらいいのに。
生きるというのはこれを―嫌だった思い出を抱え続けて、日々を送り続けることだと思っています。嫌だったこと、たくさんたくさんあります!あまりネガティブなことを言うのが得意ではない身ですが嫌な目に遭うとしばらくその話をしてしまったりして、一緒にいてくれる人に気を遣わせたり、目を瞑ってもらったりして申し訳なくなったりしますね。しょぼしょぼ。
これらのしがらみを全て捨てて楽になりたい、という気持ちが三大欲の他にある物欲とか、そういう生きるのに要るけど要らない娯楽たちによっていい感じに邪魔されて、誤魔化されて明日を迎えています。ええ、私って欲深い人間なのですよ。その欲深さに負けて生きるたびにみなさん方が笑ってくれるから、きょうも死に損なってよかったなぁと思うのです。
わたしだけでなく、あなたもきっとそうなのでしょう。足掻いて、叫んで、それでも生きることを最終的に選んでいる。それは素晴らしいことなのですよ〜。ほんとにね。あなたが時間をくれるからわたしも生きていますが、わたしもまたあなたに時間を渡していて。ソメンヤドカリとイソギンチャクみたいな関係かもしれません。共依存とかじゃない、もうちょっと健全な共生関係。
今この時間帯は希死念慮のフィーバータイムなのですが、まあなんとかうちに住んでる猫やおかあさんの声が聞ける朝方に突入しそうなので、もうちょっとがんばるといたしましょう。
花は果実に、その歩みが墓に届くまで。
果墓でした。みなさん、だいすきです。