随分SNSの更新がゆっくりになっちゃいましたね。今日はおかあさんと一緒に近所のパン屋さんに行きました。手作り感溢れるハンバーガーが数量限定であって、その最後のひとつを買ってもらいました。あと、すごくおいしいサンドイッチも。
こうして今日は何もしていないにも関わらずしあわせを手に入れていたのですが、みなさんにとってのしあわせとはなんなのでしょうか。少し気になっています。
わたしのしあわせは、毎月boothでダウンロード商品を3つくらい買えてお仕事に何不自由なく行けて絵を描けて、こうしてみなさんの前に顔を出せること、かなぁ。
しあわせ、しあわせの最たる例。ゲームでいいスコアを出すこと?愛されること?総てが自分の思い通りになること?自分の愛する人が幸せに過ごすこと?わかりません、でもいろいろなしあわせの形があるのだと思います。
このしあわせをゼロで塗りつぶしてしまうものが突発的な希死念慮だと思っています。好きな音楽、好きな映像のなにもかも、見たくなくなるときがあったりして。世界にひとりだけと思わされるような沈黙に耐えきれず床に就き、天井を眺めてぼうっとするような、そんな。その果てに言うのです。『幸せになりたい』と。
青い鳥は 晴れた日には空に溶けて見えなくなってしまうけれど 1000回ケンカして1000回大事なことを忘れかけても― 1000回仲直りして わたしたちは永遠に向かうのだ║羽海野チカ『空の小鳥』
急に引用が出てきてびっくりしましたか?わたしだって人の子ですから漫画作品くらい嗜むんですよ〜。
この引用を通して何を言いたいかって、しあわせってすぐそばに何でもない顔をして浮かんでいるという話です。
わたしはちょっとしあわせすぎるかもしれないけど、『当たり前』がなくなっていかにその時まで幸福だったかに気づくお話なんて星の数ほどあるでしょう?それを考える余裕なんてその時々の希死念慮に掻き消されてしまうけど、生きてさえいればまたしあわせは人間のもとに落っこちてきますよ、と思います。
あとあと、掴み取ることもだいじだと思います、しあわせは。自分から何も行動を起こさずにしあわせになれることのほうが稀だから。時に目を光らせて獲物を狙う狩人のように、優しく包みこんで迎え入れる受容する者の具現のように。捕まえていきましょう。迎えていきましょう。
さてさて、なんだか自分でもわからない話をしちゃったなぁ。少しだけみなさんを置いてきぼりにしていたらすみません。それは本意ではないのです。でも、少しでも届いたらうれしいな。
花は果実に、その歩みが墓に届くまで。果墓でした。みなさんに幸せがありますように。