人間と会話をしていて、話すことがなくなるタイミングがある。その度に私は相手に対し「今日のハッピーな話ください」という振り方をする。やや無茶振りに思えるかもしれない。実際に振られた相手は必ず最初困惑するし、振ってる私の方でも、「ハッピーな話」をするのが難しいことは承知している。なぜなら、ハッピーだと思えるようなことは、大抵の場合特にハッピーとも思わず素通りしてしまいがちだから(と思っている)。それでも私は「ハッピーな話をしてください」という。ではハッピーの定義とは何か? その内容はなんでもいい。あえて言うなら、その人自身にとっての小さな幸せ、些細な気づき、他人にとってはどうでもいいと思えるかもしれなくても、自分にとっては「よかったな」と思えるような出来事。そこに共感性はなくていいと思っていて、むしろその人にとって何をハッピーと思えるのか、そこに興味があると言ってもいいかもしれない。逆に言えば、私自身のハッピーな話はどうでもいい。あなたにとっての”ハッピー”な話を聞かせてほしい。そう思っている。
と言いっぱなしなのもどうかと思い、せっかくしずかなインターネットにおける私として初の投稿でもあるので、私自身の「今日のハッピーな話」を一つ置いていくことにする。とは言えここ数日は体調がすぐれず、さらに新型某の陽性判定を受けたことで自宅にて療養を行なっていた。現在は喉の不調以外は概ね通常通りであり、週明けには仕事に復帰できるものと判断している。そんなわけで今日も今日とてほぼ寝ていたので、特に変わり映えのない日ではあった。自分でここまでずらずらと書いておいてこういうことを言うのもなんだが、「ハッピーな話」を「今日」の中から探すのは本当に難しい。強いて言うなら、普段あまり触らないNintendo Switchのゲームを少し進めることができたことぐらいだと思う。体力が少しずつ回復しているからこそできたことでもあり、即ちゲームを進める=ちょっと元気になっているという証拠にもなるのではないかと思う。というかこんな周りくどい言い方をしなくても、「体調崩してたけど今日起きたらちょっと元気になった! やったー!」でいいんじゃないか、と思い始めたので、そういうことにしておこう。