感想: 永遠のファシズム / ウンベルト・エーコ, 和田忠彦(訳)

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あらすじは次の通り。

現代イタリアの代表的知識人による政治的・社会的発言集.湾岸戦争,ネオナチの台頭,難民問題など,執筆当時のアクチュアルな問題を取り上げつつ,ファジーなファシズムの危険性を説く.さらに知識人の責任,メディアの役割,信仰なき者にとっての道徳的確信の根拠など,現代の思想的課題を鋭く問い詰めた,まさに今読まれるべき問題提起の書.

本書の原題はイタリア語 "CINQUE SCRITTI MORALI" で、直訳すると「5つの道徳的随筆」となる。「永遠のファシズム」はその中の1つで、1995年4月25日にコロンビア大学で行われたシンポジウムで発表された "Eternal Fascism" を訳したもの。

いまここにわたしたちがいるのは、ほかでもない、過去に起きたことを思い出し、<かれら>が二度と同じことを繰り返してはならないと、厳粛に宣告するためなのです。

ですが<かれら>とはいったいだれなのでしょうか?

著者はイタリアからヨーロッパに広まったファシズムを「あいまいな全体主義」と表現している。ファシズムは(ナチスなど後発の全体主義的体制とは異なり)特定の一枚岩なイデオロギーを持たず、多様な政治・哲学・思想のコラージュのような体制と言える。

例えばムッソリーニは1922年にクーデターを起こし政権を掌握したが、その後20年間に渡ってイタリアでは君主制が維持されていた。また、彼は無心論者で教会を蔑視し若い頃は対立していたが、権力掌握後は教会の権威を積極的に利用し自らを「神の摂理が遣わした男」と呼んでいた。

イデオロギー的には曖昧なイタリア・ファシズムだが、それは「秩序だった曖昧さ」であり、互いに矛盾する複数の勢力を結集させるための特徴を備えていた。著者は第二次世界大戦前にヨーロッパの各地で盛んになったファシズム体制の典型的特徴を備えたイタリア・ファシズムの特徴を「原ファシズム(Ur-Fascismo)」または「永遠のファシズム(fascismo eterno)」と名付ける。

原ファシズムは以下のような特徴を持つ。

  1. 伝統崇拝

  2. 近代的な価値観の拒絶

  3. 知的世界に対する猜疑心

  4. 批判精神の否定

  5. 差異への恐怖と余所者の排斥

  6. 経済危機や政治的屈辱に伴う特定層の欲求不満の利用

  7. 社会的アイデンティティを持たない人に与える特権としてのナショナリズム

  8. 敵に対する屈辱

  9. 永久戦争: 敵と和解しない、闘争のための生

  10. 弱者蔑視: 大衆をエリート階級にするために、各自が自分より弱い者を蔑む

  11. 英雄崇拝: 集団のための死の賛美

  12. 潜在的性差別

  13. 質的ポピュリズム: 指導者が大衆の「通訳」を務めており、大衆はその役割を演じるのみで量的には無視される

  14. 新言語: 貧弱な語彙と平易な構文での教育により大衆の思考を制限する

ファシズムが第二次世界大戦前のような形で蘇ることは率直に言って想像できないが、同じような反動的イデオロギーは世界中で見られるしふとしたきっかけでそれが盛り上がることもあるのかもしれないなと感じた。

いまの世の中、だれかがひょっこり顔を出して、「アウシュビッツを再開したい、イタリアの広場という広場を、黒シャツ隊が整然と行進するすがたをまた見たい!」とでも言ってくれるのなら、まだ救いはあるかもしれません。ところが人生はそう簡単にはいかないものです。これ以上ないくらい無邪気な装いで、原ファシズムがよみがえる可能性は、いまでもあるものです。わたしたちの義務は、その正体を暴き、毎日世界のいたるところで新たなかたちをとって現れてくる原ファシズムを、一つひとつ指弾することです。

ここで再度ルーズベルトの言葉を引いてみることにします。「あえて言う。アメリカ民主主義が活力ある進展をつづけ、日夜、平和的手段をもとめ、わが国民の環境を改善する歩みを停止するようなことがあれば、ファシズム勢力がわが国にはびこることになるだろう」(1938年11月4日)

@llll
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