感想: リーマンの牢獄 / 齋藤栄功

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あらすじは以下の通り。

371億円を詐取し、獄中14年。逃亡を指示した「共犯者」は忽然と姿を消した──。無名のサラリーマンの人生を狂わせた「バブル」とは何だったのか? リーマン・ショック64兆円破綻のトリガーを引いた男、衝撃の手記。

2008年に破綻した証券会社リーマン・ブラザーズの日本法人から371億円を詐取した「アスクレピオス事件」で首謀者の一人として懲役15年の実刑判決を受け服役した著者が、自身との対話形式で事件の顛末を語る自伝的作品。

事件はいわゆる「リーマン・ショック」の引き金となったと紹介されているが、リーマン破綻の主たる原因はサブプライム住宅ローンの不良債権化であり、371億円が詐取されたことではない。

しかし、同社が破綻直前に著名投資家ウォーレン・バフェット氏に30-50億ドルの資金提供を要請した際、バフェットは当時のリーマン CEO ファルド氏がその前週に報道されていた「アスクレピオス事件」に全く触れないことに不信感を抱き要請に応じなかった(Andrew Ross Sorkin "Too Big To Fail" / 邦訳: リーマン・ショック・コンフィデンシャルより)。

リーマン・ブラザーズがバフェットの出資を受けていたらその名声を利用して他の企業からも出資を集めることができ、同社が存続していた可能性もある。その意味では「リーマン・ショックの引き金を引いた」という表現は誤りとは言えない。

事件の舞台となった上場企業「アスクレピオス」は、本書の著者である齋藤氏が診療報酬債権の流動化や医療機器の販売賃貸仲介、経営コンサルティングを通じて病院経営を支援することを目的として創業した会社である。

診療報酬とは、保険医療で医療機関が行なった診療行為の対価として支払われる報酬のことだ。日本では原則として3割が患者の自己負担となり、残る7割は公的保険が診療行為によって定められた点数の計算に応じて支払う。診療から支払いまではレセプトと呼ばれる明細書のチェック等で50日程度かかる。

医療機関によっては先行投資など資金繰りの必要から早期に診療報酬債権を現金化したい需要があるので、これを一定の割引率で第三者に譲渡し、この第三者が後で公的保険の支払いを受けるという仕組みが登場した。この「第三者」は診療報酬債権を資産担保証券(ABS)として投資家に販売することで債券購入資金を調達する。医療法人最大手の徳洲会が2004年12月にこのスキームで2,000億円を調達している。

齋藤氏は山一證券→都民信組→メリルリンチ→三田証券と金融機関を渡り歩く中でこのスキームに可能性を見出す。一見すると(債務者が公的保険なので)ノーリスクに見えるが、オリジネーターとなる医療機関の開拓や債権譲渡を認めてもらうための信用確保、投資家からの資金調達などに課題があった。

ここで登場するのが大手商社である丸紅の嘱託社員だった山中譲氏である。山中氏は大企業の丸紅が債務保証することで投資家から資金調達して病院の医療機器購入代金等に充てるというスキームを三田証券に提案する。第一号案件で三田証券に提案されたのは3億1000万円の拠出で3ヶ月後に3億4650万円をゲートキーパーと呼ばれる丸紅の身代わり企業から返済するというものだった。

年利にすると47%という暴利で出資法や利息制限法の上限を超える金利となるため、超過分は顧問契約料として別名義で支払われるというスキームとなっていた。三田証券で働いていた齋藤氏はこの「丸紅スキーム」を取締役会に提案するが否決されてしまう。理由は単純で、丸紅の一部門が本社の信用を使って有利な金利で資金調達ができるにも関わらず闇金のような高金利で調達する必要は全くないので怪しいというものだった。

結果的にはこの取締役会の判断が完全に正解だった。丸紅が債務保証するというのは全くの虚構で、関連書類や印鑑は全て山中氏によって偽造されていた。集めた資金も前の出資者への返済や山中氏による(のちに齋藤氏や他の関係者も関わった)横領に消えていき、その実態はポンジスキームに過ぎなかった。しかし齋藤氏は三田証券の経営陣を巻き込んで丸紅本社まで出向いて信用できると判断し、取締役会の決定を覆すことに成功する。

齋藤氏はこのスキームの拡大を企図し、三田証券からスピンアウトしてアスクレピオスを創業する。同社は前述の徳洲会による資金調達に注目が集まる等の追い風もあり、創業2年目にして売上63.8億円純利益2.19億円を計上する。また、丸紅本社はアスクレピオスの顧客である病院向けに医療機器を販売して3年間で約20億円の利益を得ていた。

投資家に約束した高配当を続けるためには、資金を用意し続ける必要がある。齋藤氏はアスクレピオスを上場させ同時に自社株を売却してリターンを得るという案に集中する。しかし肝心の丸紅スキームは表沙汰にできないから、上場審査を回避するためアスクレピオスより小さな上場企業(LTTバイオ)を株式交換によって買収することで裏口から上場する。

しかし、同様の裏口上場が使われていたライブドア事件を機に東証が合併審査を厳格化したことで、LTTバイオは上場廃止猶予期間入りとなる。齋藤氏はアスクレピオスより大きな企業に吸収される形での M&A を目指すものの、対象としたメデカジャパン(現 SOYOKAZE)の不良債権処理やその他の案件への投資などがうまくいかず、(齋藤氏や山中氏による横領などもあり)償還のための資金が不足していた。

窮地に陥った齋藤氏と山中氏はリーマン・ブラザーズから丸紅ライフケアビジネス部部長の替え玉を用意して丸紅本社で引き合わせることで債務保証の信頼性を高め、371億円という巨額の出資を引き出す。しかしこれに対する高金利のリターンを捻り出すことはできず、ポンジスキームは崩壊した。

齋藤氏は資産逃避と司法からの逃亡を画策する中で、とある上場企業オーナーの娘婿であった「黒崎(仮名)」という男の世話になる。黒崎は齋藤氏によるLTTバイオの買収時に市場外で株式を譲渡しており、その後も丸紅スキームに数億円単位で出資を繰り返すなど付き合いがあった。

黒崎は齋藤氏の資産(現金、高級腕時計、高級車、不動産、株式など)17億8200万円を預かり秘匿し、出所後に返すという約束になっていた。齋藤氏は黒崎の勧めに従い一時香港に逃亡するが、足がついたことで観念し帰国して逮捕される。齋藤氏は黒崎を信じて出所後の生活のために取り調べや裁判でも一貫して金の行方を黙秘していたが、黒崎が齋藤氏に金を返すことはなかった。


私が本書を読んで気になったのは「自分は巻き込まれたに過ぎない」「自分は貧乏くじを引かされた」という齋藤氏の被害者意識と自己正当化だった。

確かにいわゆる「丸紅スキーム」は同社の嘱託社員だった山中氏から持ち込まれたもので、丸紅の債務保証なくしては成立せず、なおかつそれは山中氏が作り出した全くの虚構だった。しかし、診療報酬債権の流動化や医療機器導入のための資金調達やその他病院再建コンサルティングなど事業を拡大するためにスキームを整え丸紅の債務保証を利用して投資家を集めはじめたのは齋藤氏だ。ゴールドマン・サックスやリーマン・ブラザーズからの出資を主導したのは山中氏だが、齋藤氏もそれらの資金を山中氏らと共に横領した上で資産隠しに走っている。

また、齋藤氏はアスクレピオスの顧問税理士だった植田氏の問いかけによって山中氏が自白したことで初めて丸紅の債務保証が虚構であると知ったと述べているが、単に金に目が眩んで見ないふりをしていただけに思える。アスクレピオスの創業後すぐに会社の裏口上場を検討したのも、丸紅スキームの後ろ暗さを意識していたからではないか。そもそも三田証券時代の丸紅スキーム第一号案件からして、通常の金融ではあり得ない異常な高リターン、丸紅ほどの大企業がそんな高金利で調達する必要がない、ゲートキーパーからの入金が焦げつきかけるなど不審な点しかない。

詐欺に加担して巨額の損失を被らせた上で賠償も反省もしていないばかりか、騙されたリーマン・ブラザーズを「破綻前のリーマンによるディストレスト投資は自分たちのやり口と大差なかった」「自分の抜いた金額は投資総額に対する手数料としては妥当」などと述べている。高リスク高リターンの金融商品が結果として失敗したのとそもそも持続不可能であることが確定しているポンジスキームを比べるのがおかしいのだが、齋藤氏には同じものに見えているのだろうか。自分も昔働いていた会社で大金を横領してクビになった人を知っているが、横領する人は自分の金と他人の金の区別がついていない。

自分が本書をお勧めしたい理由は、齋藤氏の語り口やアスクレピオス事件の真相そのものではない。もちろん犯罪ノンフィクションとしても面白いのだが、この本の価値はその先にあると思っている。

金融や信用を活用した仕組みは身の回りにいくらでもあるが、「金融とは何か?」「信用とは何か?」「お金とは何か?」を考える機会は少ない。本書は巨額詐欺事件の当事者という独特な視点から、現実世界の物や人の動きと乖離したある種のマネーゲームと、それに踊らされる人間たちの愚かさや浮き沈みが描かれている。

金に踊らされ、信用した人に裏切られて一生を棒に振った「齋藤栄功」という一人の人間が何を考えどう行動したのか、結果としてどうなったのか、誰を信用すべきだったのか...単なる懺悔や形ばかりの反省ではなく、それを当人の感じたままに示すことで人間の愚かさやどうしようもなさ、その中にある希望が際立つ本だった。

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経理 → プログラマー