感想: 奴隷会計 - 支配とマネジメント / ケイトリン・ローゼンタール, (訳)川添節子

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あらすじは以下の通り。

プランテーション農場主は会計技術を駆使して奴隷を管理した。資本主義と暴力の共犯関係を豊富な史料で初めて包括的に明らかにする。

18世紀後半から南北戦争を経て南部再建の失敗に至るまでの100年間にわたるカリブ諸島およびアメリカ南部における奴隷所有者のマネジメント手法を、農園日誌や会計帳簿などの記録から再構築する本。

サトウキビや綿花を栽培するプランテーションにおいて奴隷がどのように管理され記録されてきたかを整理しながら、情報システムとしての会計が生産性向上や奴隷支配にどう貢献してきたかを明らかにする。

「奴隷制」と聞くと過去の遺物のように感じてしまう(実際そうだ)が、奴隷制の下でどのような支配や管理が行われてきたかを見ていくと現代にも通じるものがある。以下は本文より引用。

私たちはモノをつくる労働者がなかなか見えない世界経済に生きている。距離と定量的な経営がこの流れを助長し、資本主義と自由という前提はこれを隠すのに一役買っている。「自由」貿易にしても「自由」市場にしても、人間の自由とのあいだに必然的な関係はない。それどころか、プランテーションの奴隷制の歴史は、その逆が真実でありうることを示している。

プランテーションの会計帳簿は、快適な会計事務所やコンピューターの前にいると、いかに容易に現場環境に考えがおよばなくなるかを思い出させてくれる。農園主が奴隷制を記録した方法にあたれば、私たちが記録するデータの内容や、その利用のしかたに突いて考え直すきっかけになるだろう。定量的な記録は遠くまで見通すのに役立つが、それは数字が何を見せてくれて、何を消し去っているのか意識しているときに限られるのだ。

本書は5つの章に分かれている。

  1. プランテーションの会計と組織構造

  2. 所有と管理の分離を可能にした会計標準化

  3. 科学的管理法と生産性分析

  4. 人的資本

  5. 奴隷解放後のマネジメント

第一章では英領西インド諸島の砂糖プランテーションを舞台に、プランテーションの組織構造を明らかにする。ジャマイカ最大の農園では19世紀初頭に約3000人規模の奴隷がいた。砂糖の製造工程は複雑かつ大規模であり、サトウキビを収穫してから圧搾し糖液を煮詰めるまでは時間との戦いで大規模な労働力と作業分担を必要としていた。

ここで奴隷の生死を管理するバランスシートが登場する。農園の管理者にとっては工程のどこかが停止すると砂糖や糖蜜の製造そのものが止まってしまうので、工程別に安定して労働力を割り当てられるよう管理することが重視されていた。労働力は職種や年齢、性別に分けて管理されていた。

第二章は所有と経営の分離を可能にした会計の標準化について。ジャマイカのプランテーションを保有する地主は基本的にイギリスにいて、現地の管理者が実際の農場経営を行っていた。地主は本国に四半期か半年に一度送られてくる会計帳簿をもとに投資意思決定を行った。これは現代の株式会社で行われている所有と経営の分離の初期段階ということができる。

イギリスやアメリカ北部の工業化された社会と違い、奴隷は退職しないし賃金を支払う必要もない。奴隷はプランテーションという巨大な機械を動かすための歯車として生産性を可視化され、農園経営者の間で生産性を管理するための帳簿のフォーマットが標準化されていった。

第三章は奴隷の生産性を向上させるための科学的管理について。19世紀中盤に南部のプランテーションで行われていた奴隷の管理方法は、その半世紀後にフレデリック・テイラーによって提唱された科学的管理法に似ている。働き手一人あたりの作業量を把握し、その生産性を最大限引き出すために調整や管理を行う。

例えば健康な男性の成人奴隷が1日に収穫できる綿花の量を100とすると、同等の収穫能力を持つと見られる奴隷が70しか収穫していなければサボっていたとみなすことができる。

第四章は人的資本としての奴隷について。奴隷から生まれた子は労働力となるはるか以前から資本として評価されていた。農園経営では減価償却が一般的な会計手法となる数十年前からそれを使って奴隷の命を評価していた。成人した奴隷は年齢を経るに従って価値が落ちていった。

奴隷の価値はその専門能力や身体の成長、健康状態、生殖能力、市場の変化などによって増減し、年ごとに評価額が記録されていた。経営者は奴隷を担保に資金を借り入れて新たな奴隷を雇うことができたので、適時かつ正確に奴隷の評価額を記録する動機があった。

第五章は奴隷解放後のプランテーション経営について。プランテーションの生産性向上は退職や賃金支給が存在しない奴隷の強制労働と支配によって支えられていた。もともと多くのプランテーションは過酷な環境で奴隷の出生率より死亡率の方がはるかに高く、労働者数を維持するには奴隷購入が必要だったが奴隷解放によりそれも不可能になった。

解放後も多くの元奴隷は読み書きができず、農園経営者との経済格差や情報格差もあって不利な条件で小作人として契約せざるを得なかった。経営者は労働力不足を補うために欧州から移民を受け入れたものの、自由人による労働では生産性を上げることが難しかった。南部再建の失敗後はジム・クロウ法で個人の移動や生活が監視され、元奴隷は低賃金で働かざるを得なかった。経営者は囚人労働や債務労働、分益小作によって経済的に奴隷制を再現することで再び利益を得るようになった。


本書の特徴は、奴隷制を支えた会計技術を題材に近代資本主義における労働力の定量化と社会的な暴力の関係を明らかにすることにある。

  • 奴隷制を基盤とした大規模農園の経営は、内部管理の面でも資金調達の面でも情報システムとしての会計帳簿によって支えられていた

  • アメリカにおける経営学の先駆けとなったテイラーの「科学的管理法」の数十年前から、南部のプランテーションでは同様の管理が行われていた

  • プランテーションは人間の複雑さを無視して定量化し代替可能な生産手段とみなすことで生産性を向上させていた

  • 奴隷解放後も囚人労働や債務労働、分益小作など経済的には奴隷労働に近い体制が構築された

奴隷制というと遠い昔の話に思える。しかし、法的に奴隷が消滅しても実質的に奴隷に近い状態に置かれた人々は存在していた。実際に、南部再建の失敗後に元奴隷たちは経済的に豊かになれず奴隷労働に近い悪条件で働いていたし、賃金は上がらなかった。

奴隷制を支えた法や政治、そして会計は南部のプランテーションの生産性を向上させたが、それは多数の奴隷の犠牲の上に成り立っており、生産性向上の恩恵も一部の農園主に独占されていた。これは規制のない市場で独占的な権力を持つ存在が生まれたとき何が起きるかを示唆しているように思える。

自由市場や自由貿易によって恩恵を受けられるのは、市場へのアクセスや十分な流動資産を持ち市場の資源を使って利益を上げるための生産手段を持っている人間(つまり農園主)で、(元)奴隷の交渉力は低く労働力として定量化され支配される存在に過ぎなかった。著者はこれをプランテーションという巨大な機械を動かすための歯車と表現している。

私がこの本に興味を持ったのは、現代でも奴隷制資本主義に近い経済状態が作り出される可能性はあると思ったからだ。

例えば AI 産業が急速に成長して知的労働の付加価値生産の大部分を担うようになると、モデルを開発したり膨大な計算資源を提供できる一部の企業が莫大な富を生み出すと想定できる。このとき再分配や規制などがなければ、(南部再建期の元奴隷たちのように)生産性向上の恩恵を享受できない人間と一部企業との間で経済格差が大きく開き、社会の不安定化に繋がるかもしれない。OpenAI CEO の Sam Altman がこれについて語ったブログ記事が面白かったので興味ある方はぜひ読んでほしい。

現代の資本主義と奴隷制を対比する上で本書の最後の文章が印象的だったので、これを引用して終わりにする。

現代において資本主義の発展を語るときしばしば強調されるのは、大勢の個人の選択の総計がポジティブ・サムになるという点だ。この見方が示しているのは、自由で、利己的でさえある決断は、成長とイノベーションと手を取り合って進むということだ。また、ごく少数の者が蓄積した巨大な富が、大勢の人々の状況を改善することも前提にしている。奴隷制資本主義の歴史はこうした見方すべてに警鐘を鳴らす。18世紀および19世紀において、奴隷制は利益追求に見事に適応することを示した。奴隷所有者のための自由市場は栄え、その支配力は奴隷を労働に駆りたて、肥沃な土地に移動させ、生産を促した。奴隷所有者は金融と生殖の両方を通じて人的資本を巧みに操り、巨万の富を気づいた。労働を支配する資本の力がもっとも切実に感じられたのは、労働が資本である場所だったのだ。

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経理 → プログラマー