2025年の話

ロカ/Ebizome
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公開:2026/2/18

昨年、2025年の1月に母の大腸がんステージ4が発覚し、余命の告知、現在の腫瘍の状況と説明、ストーマ手術、術前抗がん剤、7時間に及ぶ手術、術後抗がん剤、を、キーパーソンとして並走をしました。

母は2024年の健康診断の時には体重が43キロあったらしいのですが、ストーマ手術のための入院時では35キロにまで落ちていて、腫瘍に栄養を取られていることと、ご飯が食べられなくなっていっていたのを痛感しました。

その体重でストーマを作り、さらには抗がん剤を行うので体重が増えるはずもなく、みるみるうちに身体は痩せ細っていきました。

31キロまで落ちたところで水も飲まなくなり、必死に病院に連れていったら脱水で結構危ないところまでいっていて、病院に着くまでに赤ちゃんに飲ませる用のリンゴジュース1パックをなめさせるように飲ませた事を担当医の先生に褒められる始末。病を前に、自分の無知と不甲斐なさに憤りでいっぱいで、とても辛かったのを覚えています。

抗がん剤を行うと味覚が変わるのと、腸を手術しているので食べられるものが限られているので、とにかく食事が大変です。栄養指導の先生に色々教えてもらって水溶性食物繊維・不溶性食物繊維が無く、香辛料を使わず、加工品をなるべく避けて、食用油も中鎖脂肪酸でなんとかする。そんな食事を来る日も来る日も作り続ける日々。ちゃんと食べられるものを作っても、味覚障害で食べられないこともあったし、ストーマのパウチの取り換え介助の度に母の身体が細くなっていくごとに自分を責めて、正直あの頃が一番限界だったかもな、と、今になってみると思います。

手術が決まり、再度の入院。そして7時間以上の手術。

「手術が終わりました。先生からお話がありますから一緒に来てください」

若い看護師さんにそう言われた時の怖さ。妹と身を寄せ合って待った待合室。

通された部屋に、担当医の教授の先生が膿盆に取った臓器を入れて現れた時の安堵と、妹の叫び。

掌に載せた、これまで母のものだった大腸と肝臓。腫瘍の硬さ。

大学病院だったので、先生は私たちに、生徒に教えるように、がんのこと、手術の内容の事、これからの抗がん剤の事などを丁寧に説明してくださいました。

術後のリハビリは想像より何倍も大変で、術後盛大にむくんでいても34キロしか体重が無く、一か月の入院で母は精一杯頑張っていましたが、退院時には31キロに逆戻り。杖をついての退院でした。

まあ、そこから抗がん剤と食事制限が再開されて、これまた色々あったけど乗り越えたと思ったら今度は私の身体に様々な不具合が出たりして。そんなこんなでなんとか今年の2月3日、去年最初の入院をしたちょうど一年後に母の体重が38キロになったので、これを書いてるわけですね。40キロまであと2キロ!

いやー、母も70を超えてよく頑張りよく食べてくれたと思うし、私もよく頑張ったやろと思う。だってこの!短期間で!無理なく体重増やせるご飯作るの!結構大変だったよ!いや、術後のご飯とかももちろんそうなんだけど、栄養士の先生がほめてたよって言われて、そうだよなぁ私自分の事誇りに思っていいよなぁと思って。なんか、去年頑張ってたんですって書いておこうと思って書きました。誰かに褒めてもらいたいとかじゃないんです。誰も読んでないしこんなところ。でも書かないと自分が自分のこういう、ちゃんとやったよ!って事を忘れるタイプなので。もちろん一番頑張ったのは母。だけど私はちゃんと支えた私を誇るべき。

よくやった2025年の私。

@locatoko
江戸川乱歩、横溝正史、小野不由美を読むと安心する。ちゃんとした文書を書きたくなってきた人です。