大晦日に母が死んだ。88歳。たくさん病気をした人だったけど、安らかな最期だった。
本当に身近な人の死を経験したのは、今回が初めてだと思う。たぶん47年間で最も悲しい出来事だった。
それでも残酷にも時間は流れるので、仕事に戻り、普通の生活に戻っていくしかなかった。
初七日くらいから肉体感覚や感情がいつかの記憶と重なるようになった。
すぐに気づいた。まるで若いときの失恋後と同じ。
調べてみると母の死も失恋も愛情対象喪失といって精神医学の世界では同じカテゴリーらしい。同じ種類の悲しみ、喪失感。
喪失感と気だるさ、微熱。声も出ないような状態になった。仕事に行っても何となく周りが気を使っているのがわかる。
対象喪失について知れば良いだろうとアマゾンで何冊か母の死に関する本を買った。その悲しみは3年くらい続くのは当たり前だとか、何年もたってからヤバくなることもあるとか、慰めの言葉をそこに何もなかった。(読まなければ良かった)
結果、僕自身はうつ病のような状態になった。さて困った。この状態からどう抜け出すのか。それとも3年続くという話を受け入れるのか。
荒っぽく言うと…うつ病は、安静病だと思っている。肉体を使っていないとなる病気。それだったら出来る範囲で身体を動かせば良いんじゃないかと。
半分ヤケクソで一週間後の東京行き航空券を手配した。
航空券を購入し、ステイ先を日本橋あたりと設定したことで、様々なことを調べなくてはいけなくなった。(ちなみに日本橋としたのはTCATから近いから。電車に乗りたくないという理由)
ステイ先が決まるとホテル、レストラン、ショップなどリサーチを必要とすることがたくさんある。
そして物事をコントロールしているという感覚を味わうことができる。旅程も口に入れる食べ物も全て自分が決める。すべてをコントロール下におく。
海外への一人旅も同じ。マネジメントするべきことが多いが海外一人旅から帰ったときの満足感は唯一無二だと思う。
ホテルを決め、レストランを決め、行きたい場所を考え、地図を眺める。仕事の合間時間にそれらのことをしているとコントロール感が戻ってきた。自分自身をコントロールしている感覚と。
帰りの飛行機に乗るときには、晴れ晴れしい気持ちですっかり日常を取り戻した感じがした。
安静病は、動けば治る。今年は動き続けよう。先のスケジュールも入れて、退屈な時間を作らない。そんな風に過ごしていれば、あとは時間が全てを解決してくれるはずだ。