まだ関ジャニ∞への話をします。皆様からしたらもうどれだけ好きやねんと言った所でしょうか。まだ付き合ってくれる物好きなフォロワーはもうちょっとだけ聞いてって。多分これが最後だから…。最後にするから…。
∞のサブスクが解禁されたことは私にとってものすごく大きなことで。わざわざCDを引っ張り出さないと聞けなかった7、8人の声がスマホで手軽にいつでも聞けることでいつでも「あの頃」に帰ることが出来ることを意味してるんですよね。まだイヤホンを持てなかった小学生のだもちゃんは8EST(ベストアルバム)のちょっと厚めの歌詞カードが擦り切れるほど読み込むことで歌詞を覚えていたり、親に隠れてパスコードを解読し3DSから接続したブラウザで伝説(おもしろエピ)を読み込んで紙にまとめたり、こっそりプリ画像から画像保存したりとそれはそれは「それして何になんねん」といったオタ活をしていまして。出来ることが制限されていた中でなんとか彼らを知りたいといった探究心に突き動かされるごとくのめり込んでいましたね。当時が小学5年生だったのであれから怖いことに10年が経ち…。今までたくさんの物、人を好きになりましたが、あれほどにまで熱狂したものには出会えていないような気もします。出会えそうではあったけど…。某脱退の話はもう聞き飽きただろうしそれひとつだけを擦り続けるのは面白くないので別方向から話をします。
恐らく私が小学5年生から高校1年生までの6年間、変わらずにずっと∞を好きでいられたのはその間ずっとグループが不変だったこと、7人がそれぞれ進化し続けていたことが全てなんだろうなと思う。グループの形が変わったことで私は振り落とされてしまっただけである。グループの形が変わる時、「こんなことなら好きにならなければよかった」と本気で思ってしまったけれど、それは大きな間違いで。本気で好きだったから今でも若干誰かの脱退を見る度にカサブタが剥がれたみたいな痛みを感じるくらいには本気で傷ついたんだ。すばるくんを知らない人が増えるのが怖い、「渋谷?って人がいたらしいよ」という認識になることが怖いと感じていたし、そうなったら今まで私は何を応援していたことになるんだろうと変に迷った時期もあった。でも関ジャニ∞が8人だった頃も、7人だった頃も、6人だった頃も、5人になった今も。全て存在した時間であることに変わりはなく、私が好きだったことも今までの私がCDを買うという形で残してくれている。そこに存在したこと、好きだったこと、全部紛れもない事実である。ひっくり返らない。
今また私が∞の楽曲を聞いて懐かしい、やっぱり好きだなって思えるのはメインボーカルが抜ける、どれだけ人数が変わろうが変わらず「関ジャニ∞」の屋号を守ってくれた、進むことを諦めなかった5人のおかげ。5人には感謝と同時にファンであることを諦めた申し訳なさも、7人の歌が聞けるからと戻ってきていることへの後ろめたさも感じている。都合のいい人間だろうか。実際は6人になってからどれだけ探しても当たり前に聞こえてきたあの声がいない現実が苦しくて楽曲を避けてしまっていた。ようやく最近聞けるようになったよ。サブスク再生により本人たちにささやかながら収益は入る。とても償いとまでは言えないが貢献出来たら、と思っている。ごめんなさい。ずっと関ジャニ∞でいてくれてありがとう。
あの頃に戻れたらいいのにという気持ちは今でもある。ずっとあの頃にいられれば、私は大好きなもので何も悲しい思いをすることは無かった。すばるも亮ちゃんもずっと一緒にいたかもしれない。あの頃はライブに行けなくてもものすごく幸せだった。でも今は今で結構楽しいんだ。それに過去に戻ったとて、同じことを繰り返すだけなのかもしれないね。もう私も大人だから、いい加減諦めもついたんだ。二度とあの頃の関ジャニ∞は帰ってこない。すばるも錦戸も戻ってこない。関ジャニ∞は5人で活動していく。私の好きだった時間、2人が存在した時間がひっくり返らない事実であるようにこれもまた、ひっくり返らない事実なのだ。結局2人や私たちが各々出した答えに正解も不正解も無いし、各々が好きなように自由に生きていられればそれが正解なんだろうね。どうかこれからも、8人の未来が明るいものであってほしいと願うばかりである。
君が見る時代に、惜しみない愛を。