先程、ウィキで「きょうだい児」を検索したけれど、改めて、「きょうだい児」の闇の深さを痛感。
わたしの場合、さらに毒親育ち、いじめ、極めて劣悪な人間関係が加算されるのでなおさら。
救いは、40代になって、ようやく「きょうだい児」の仲間や理解ある支援者とつながったこと。
そのお陰で、この歳になって、心から尊敬する「良いお手本」的な方との出会いに恵まれたし、幼少期から低かった自己肯定感も向上し、元々の自分を取り戻すことができた。
その上、長年悪過ぎた仕事運にも恵まれるというオマケ付き。
それでも、昔のわたしがそうだったように、「きょうだい児」とのつながりを親から厳しく禁止される、あるいは親が支援に一切無関心など、本当はつながりたいのにつながれない「きょうだい児」が、まだ数多くいるかもしれない。
<以下、わたしなりの「#きょうだい児 」あるある
・実際は真面目なだけなのに、親から「子どものくせに生意気」と思われる。
・元々大らかな性格なのに、「だらしない」と厳しく注意、抑圧される。
・一般社会なら特に問題ないことでも、「何で言うことを聞かないの?」と激しく叱られる。
・第三者から見れば、思わず目を見張る「スゴ技」を披露しても、「できて当たり前」と却下する親。>
そんなわたしもご多分に漏れず、幼稚園で落ち着いて椅子に座れなかったり、先生の側にいてしがみついたり、入園式早々、問題児の烙印を付けられた…らしい(もちろん、全然覚えていない)。
だけど、子どもは子どもなりのSOS出しているんだよ!
妹の病気で散々振り回され、大学病院内の待合室の絵本だけが友達という環境で育ったのに、ある日「みんなが行くから」と親の勝手な都合で、いきなり幼稚園に行かされたら、発達障害の有無関係なく子どもはテンパるって!
あと、子どもの「きょうだい児」の支援は、結局、親次第。
【民法818条「親権」成年に達しない子は,父母の親権に服する。】
この憲法史上、類を見ない悪法のせいで、「きょうだい児」の支援に無関心、かつ批判する親の子どもは、例え子ども本人がどんなに希望しても、成年(18歳)に達するまでは一切支援を受けることができない(実はわたしもそうだった…)。
せめて、難病の親や家族の会の活動に熱心、活動こそしなくても気に掛けるタイプの親の下に生まれ育っていたら、わたしも結婚はできなくても、社会人としては順調で、一人暮らしを謳歌できたかもしれない。
だけど、わたしは今も「かごの中の鳥」。
妹亡き後も、今度は毒親の「ご機嫌取り」「サンドバッグ」として、辛うじて生き延びている(しかも、一見一人っ子なので、「行かず後家箱入り娘」と軽く見られがち)。
自分と同じ状況の「きょうだい児」とのつながりが唯一の支え。
ただでさえ、良い親に恵まれない子どもは生き辛いのに、これに「きょうだい児」という宿命まで背負わされたら、マジで人生詰むぞ!