藤井風の「何なんw」が MTV Japan の「Best R&B Video」、つまり最優秀 R&B ビデオ賞を獲得したことは記憶に新しいが、それまで「日本の R&B ってどうだったっけ・・・」とすっかりシーンのことを忘れてしまっていたのは、ある意味致し方のないことだったかもしれない。
本邦の R&B と言うと、おおむね平成前半にリリースされた「あなたのキスを数えましょう/小柳ユキ(1999)」や「Everything/MISIA(2001)」、「瞳をとじて/平井堅(2004)」などに代表される、いわゆるバラード系のものが強くイメージされるのではないかと思う。
この流れは 1997 年に「My Heart Will Go On(タイタニック・愛のテーマ)/セリーヌ・ディオン」が、グラミー賞やゴールデン・グローブ賞など様々な媒体でもって高評価されたところに端を発している。その後同曲が日本でもパワープレイされることとなったのは、世代の人にとっては懐かしいところではないかと思う。
ただ、ついついバラード系のみに意識が行きがちになるが、J-R&Bの金字塔である「Automatic/宇多田ヒカル」も実は 1999 年リリースであり、昨今の意味での R&B ということであれば、2000 年代からそれとなく本邦でも「R&B」として展開しつつあったのだ。
R&B というジャンルの定義は、曲だけ聴いてそれを行えと言われると難しい。曲だけ聴いてわかるようなものもあれば、そうでもなさそうだが実際はそうである、というケースも山程ある。たとえば、以下の 3 曲は広義で言えばすべて R&B となる。
個人的にだが、R&B というジャンルは「こうでなくてはいけない」という縛りがあるタイプのものではなく「演者に R&B というジャンルへのリスペクトがあり、その曲が最終的に R&B と認知されれば、それは実質 R&B になる」というタイムラインによって評価が決まるジャンルではないかと思っている。
実際「My Heart Will Go On(タイタニック・愛のテーマ)/セリーヌ・ディオン」は厳密には R&B ではないのだが、本邦では R&B のひとつという文脈を持つことがある。
また本邦の場合、ラッツ&スターのようなグループもある。彼らは顔を黒塗りにし、黒人っぽい格好で歌うのがエポックなグループなのだが、それは
「黒人の音楽は超えられないけど、近づくことは出来ると思う。黒人に近づく為のポリシー、スピリットは、顔を塗ってアピールすることから始まったから、自分達の音楽は黒いな、とか、お客さんが、シャネルズは黒いなって思ってもらうようになったら、塗る必要なんかなくなる」
という「リスペクト」から来ているものであった。これは間違いなくソウルであり、R&B(公式にはドゥーワップ)であるといえる。
改めて藤井風に戻る。彼にも間違いなく R&B へのリスペクトはあり、それは公式チャンネルにある過去動画などから、よく理解することができる。
そも「リスペクト」とはなにか。どうすれば「リスペクト」になるのだろうか。ただ歌を歌うとか、格好をマネするとか、そういったものが含まれるのだろうか。その他の解釈はどうだろうか。
尊敬(そんけい、英: respect 、esteem )とは、重要と考えられる、もしくは大いに尊重または留意される、ある人やある物に示される肯定的な気持ちや行為である。それにより良き人柄や価値あるものへの賞賛の思いが伝わる。そして尊敬は、ある人の要求や気持ちへの気遣いや配慮・考慮を示すことで、その人を敬う一連の過程でもある。
ただ好きだから R&B をカバーするという行為を観たとき、人によっては「リスペクトを感じない」と思うことがあるかもしれないし、ビジネス的に、リスペクトがあるということを全面に出してやっているケースも、もしかしたらあるかもしれない。
が、本人にとってはシンプルに「好きだからやってる」であり、そしてそれは紛れもなく「リスペクトからくる行為」である。他者からの指摘によって、その行為にリスペクトがあるか否かという評価を、その人から引き剥がすことはできない。
少なくとも「クオリティ」はそれらを保証してくれるアイテムの一つである。次に挙げる「とん平のヘイ・ユウ・ブルース/左とん平(1973)」は、ジェームス・ブラウンばりのシャウトがクセになるハイクオリティなナンバーだ。
この曲からリスペクトを感じるだろうか。筆者は十分に感じ取ることができる(スチャダラパーがこの曲をリスペクト、サンプリングし「スチャダラパーのテーマ PT.2」を作ったことも付記しておきます)。
ところで、米ラッパーの Macklemore が、ヒップホップを白人がやるということにたいして、こんなことを言っていた。
黒人や有色人種が歴史的にどのように扱われてきたかを考えると、このHip-Hopは抑圧から生まれたものだと思う。
Hip-Hopは包括的だから、ある程度は常にオープンドアだった…でも、俺はゲストだし、Eminemもゲストなんだ 。俺たちがどれだけ評価されようが関係ない。Eminemがどれだけ偉大であろうと関係ない。俺たちはHip-Hopカルチャーの中ではあくまでゲスト扱いなんだ。それは100パーセント揺るぎないことなんだ。
だからって、それは俺がこのHip-Hopに属していないということではないと思ってる。俺は絶対にHip-Hopに属していると信じている。でも、ここは自分の家じゃないってことを理解しなきゃいけない。そして、あくまでもゲストなんだ。
ヒップホップは黒人によって生み出された文化であるから、それに対する白人の価値観には、ある種のよそ行き感が伴う。エミネムもかつて、こんなことを言っていた。
あらゆる人種が協力して、何もないところから形を作ってきた。今では白人の子供が黒人のアイコンを尊敬して育って、黒人の子供が白人のアイコンを尊敬して育っている。それらが一つになった社会になった。あらゆる人種の、あらゆる立場の人々がこんなにも一つにすることができるのは、ヒップホップくらいだ。他の音楽は成し遂げなかった。
ほぼ、あらゆる音楽が黒人によって作られたが、その事実がないがしろにされるフラストレーションも理解できる。Chuck Berryとか、Rosetta Tharpeとかがいた。それでElvisが現れたら「こんなもの初めて見た!」って感じで反応するけど、本当はもう見たことがある。そのレベルまで到達した白人を見たことがなかっただけだ。白人である彼が最も音源を売った人物となり、キング・オブ・ロックンロールと呼ばれるようになった。
アメリカにおける人種の壁を考慮する必要はあるにせよ、そのジャンルを誰が作ったのか、そしてその先駆者への敬意はあるか、これは大小あれど、どの国でもある程度気にかかる部分だろうと思う。R&B 含め、リスペクトが重要であり、それによってその人の曲がそのジャンルたりえるかどうかというのは、日本であればジェロやクリス・ハートなどの歌手を見ればわかるだろう。
改めて、日本の R&B を思い起こし、そして藤井風の曲に思いを馳せてはみたが、彼が R&B たりえるかどうかというのは、あまり重要な問題ではないのかもしれない。
別に縛りがあるわけではない、リスペクトはある、それで、何が問題なのか。もしそれが「そのジャンルに必要な要素が何か欠けている」ということなのだとしたら、なんとも狭量な話ではないか。
ジャンルが商業的につくられた縛りとすると、ある程度の便利さはあるが、少なくとも音楽性や作品の色を変えるようなものであってはいけないし、それは作り手よりもリスナーにおいてこそ、最も大事な価値観なのではないかと最近は思う。
藤井風も、宇多田ヒカルも、左とん平も、和田アキ子も、みんな間違いなく R&B だ。そしてそれはなぜかと言われれば、リスペクトしているからだ、と筆者は考える。