※ローカルにメモっていたものを文章として整えました。
生まれてからそこそこ健康に生きて「人生80年」とすると、40年経過した段階で既に半分以上の時間が過ぎたことになる。
0〜30歳は世代のバラエティが乳幼児・子供・学生・若者・中年と実に多種多様だが、40〜80歳は言ってもずっと「大人」の枠組みなので、行動範囲や様式などが大きく異なる「昨今の」39歳以下の人と今後積極的・継続的に分かりあえるかというと、なかなか難しいんではないだろうか。
なので39歳以下の人については、あまりこちらから能動的に考えないようにする(知ったかぶりをやめる、リスペクトを持つ)。向こうから何か尋ねられたら答えるとか、そのぐらいでとどめておく。
それでも「年下」と絡みたいときは40〜80歳の枠組みの「年下」で絡めないかどうかを決める、例えば41歳になったら絡んでいいのは40歳までとか。
昨今「おじさん」への風当たりは性別問わずバカみたいに強く、そして40歳というのは誰がどう考えても「おじさん」なので「おじさん」であることを強力に自覚する必要がある。具体的には以下。
一般的な社会常識にある程度精通している
冠婚葬祭が増えるので、そのへんの知識が急に豊富になる
体力は衰え、体にいろいろとガタが発生する
キングカズとかイチローみたいな化け物アスリートのことは忘れろ
病院のお世話になりまくる
逆に40歳過ぎて病院の世話になったことないというのもそれはそれでスーパーホワイトっぽくて不安になる
年下に雑に絡まない
おじさんは通年気が緩んでいるので、ダル絡みしがち
様々な場面において政治的配慮ができる
ここでの政治的というのは「双方の利益・不利益を自分を律することによって調整し、波風が立たないよう落とし所を見つける作業をすること」とする
おじさんが挨拶しないと最悪なので挨拶だけは絶対にする
おじさんが若者と勝負して云々・・・という話がたまに話題に上るが、個人的には「おじさんは金がすべて」だと思っている。金があるおじさんの場合、やむなくであったとしても、若者に話を聞いてもらえたり(あるいはうらやましがられたり)、若者の手助けをしたり、自信の趣味や人脈や活動を広げたりすることはできるが、金がないおじさんだとそれができない。
そもそも、金のないおじさんに、おじさんはあまり金を与えたがらないし、金のないおじさんが夢を語っても「でもおじさんでしょ」となってしまう可能性が高い。
なので「おじさんだが特にやりたいことがない・・・」と言う場合は、とりあえず金を稼いでおく。「やりたいことが見つからないときは、とりあえず金を稼いでおけ」と誰かが言っていた。ただ、心を殺してまでそうする必要はない。健康面など「損なうと取り返しがつかない」ものもあるので、そこそこに稼げる手段があるならそれを大事にするのがよい。投資なんかも悪くない。
40〜80歳は「今まで集めた偏見と価値観のコレクションで生きる枠」なのだが、アラフォーを過ぎて「これ偏見だったな」などと気づくことがあるのであれば、そこで偏見を捨て、新しい考えに変えることは特に問題ない。特に若い人からのインプットによってそうなることもあるだろう。それは「若い人へのリスペクト」になるので、存分にやってよい。が、あまりそこだけを強調しすぎると、絶妙なニュアンスが理解できずに「自称わかってるおじさん(これを「老害」と読み替えたければそうしてもよい)」になる可能性がある。
そもそも40〜80歳と言っても75歳以降はボーナスタイムみたいなところもあるので、75歳ぐらいまでにこうなっていればいいか、的な中期目標を3〜5年毎に決めるのも悪くないだろう。同じ目標を変えないと思想がガチガチになるので、3〜5年毎にガラっと変えてみるという感じである。
とはいえ、おじさんは最終的にはどうやっても「死」がゴールにならざるをえないので、ある程度の年齢になったら「死」を考えて行動することになる。それが後回しにできれば幸いではあるが、にしたって体力も時間も有限なので、どのようなことをしたいかを吟味していかないと後悔が残りやすい。「毎日ぬか漬けをめっちゃ旨く漬ける」みたいな短いスパンの目標なんかだと、ある日終わっても「まあ昨日が最高だったしいいや」みたいな感じで諦めやすい。日々できることを見つける。
人と話す。ネットがあるならそれでもいいが、リアルで会話できるのであればそれが一番よい。
おじさんにブランド価値はないが「購買意欲および購買力」はあるとみなされる場合が多い。金があるなら思い切って「若いときに金がなくてできなかったこと」を始めてみるのも良さそう。そこで若い人の趣味をやるのもよく、そういったところから若者へリスペクトを以て接するということができれば、なおよい。
(他なんかあれば都度追記します)