話の話に涙を溢して

lyra5302
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毎日行く場所があって、誰かに会って話せることが当たり前じゃない世界に住んでいる僕は「話すこと」に疲弊している。

話す、ためには有象無象の情報に溢れたスマートフォンを開いて、一人一人のSNSを巡回していく必要がある。

SNSの発達で、繋がることは容易になったし、その人のパーソナルな部分に触れやすくもなった。ただパーソナルな情報、というのは過大な情報量で、一つ一つ丁寧に反応していくのはなかなかしんどい。

なら情報を遮断すれば良いのではないか、と言いたくなる方もいるだろうが、実はそうも行かないのが現実。

僕が誰かと話すためにはSNSがないといけない。誰かに会って話せることが当たり前じゃないから。

あるいは、僕が話すことには「条件がいる」とも言い換えられる。

スマートフォンで話す、という条件。一人一人のSNSを巡回する、という条件。自分からSNSで話しかける、という条件。

「条件付きの話」に僕はどんどん疲弊していく。疲弊していくのに、僕は条件がないと人と話せない、から条件付きの話を仕方なく了解している。

疲れ切ってて、涙を溢しそうなのに、どうして。

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